TOP ROOKIE 2022トップルーキー 2022
yuga itabashi 4933板橋 侑我
更なる高みへ昇りたい。
Information 2022年1月現在
- 生年月日:1996/6/3
- 支部:静岡
- 出身地:静岡県
- 身長:170cm
- 体重:52kg
- 登録期:118
- 級別:A1
- 血液型:O
トップルーキー2022 4933 板橋侑我
2016年5月20日浜名湖ボートデビュー超えてゆくべきものがある幸せがある!
118期生はタレント揃い。
2022年のトップルーキーには、栗城匠・木谷賢太・宮之原輝紀と同期3人が名を連ねている。
負けているわけにはいかない。
幼い頃からカートレースでスピードに親しんできたキャリアをもつ。
また、そこに現役ボートレーサーが遊びにきていたこともあり、自然に道が開けたといっていいだろう。
養成所の勝率は7.84。同期2位の成績をひっさげ、鳴り物入りでプロの世界に入ってきたが、A級昇格に6期3年を要している。周りも本人も意外だったはずだ。
だからこそ、2021年11月の浜名湖周年記念Vは感慨深かった。
「栗城君と一緒にSGレースに出られる…」と言って喜び、ボートレースクラシックではともにSG水神祭を飾っている。
また、レーサー生命が危ぶまれる大けがから復帰した師匠・笠原亮の生きざまは人生観を変えてくれた。
「うまくいかず苦しい時に、支え応援してくれたのが笠原さん…」だったからだ。真の理解者の存在はかけがえがない。それを超えてゆけ!
2022年のトップルーキーには、栗城匠・木谷賢太・宮之原輝紀と同期3人が名を連ねている。
負けているわけにはいかない。
幼い頃からカートレースでスピードに親しんできたキャリアをもつ。
また、そこに現役ボートレーサーが遊びにきていたこともあり、自然に道が開けたといっていいだろう。
養成所の勝率は7.84。同期2位の成績をひっさげ、鳴り物入りでプロの世界に入ってきたが、A級昇格に6期3年を要している。周りも本人も意外だったはずだ。
だからこそ、2021年11月の浜名湖周年記念Vは感慨深かった。
「栗城君と一緒にSGレースに出られる…」と言って喜び、ボートレースクラシックではともにSG水神祭を飾っている。
また、レーサー生命が危ぶまれる大けがから復帰した師匠・笠原亮の生きざまは人生観を変えてくれた。
「うまくいかず苦しい時に、支え応援してくれたのが笠原さん…」だったからだ。真の理解者の存在はかけがえがない。それを超えてゆけ!
板橋 侑我 選手
×
BOATBoy編集長
黒須田守
ロングインタビュー
前編
僕にはボートレーサーの
道しかなかった
――まず、レーサーを志したきっかけを教えてください。
板橋 5歳からレーシングカートをやってました。それで高校を卒業する時に、車の整備士かレースメカニックになれればいいなと思っていて、でも整備をしていると自分もドライバーとして出たくなってしまうだろうなと思って、父に相談したんです。そうしたら、レースも整備も自分でやるスポーツがあるよってボートレースを教えてもらいました。天職だと思ってその瞬間に決めました。
――もともとは整備のほうが志望だったんですか?
板橋 いや、僕は勉強も苦手で(笑)、進める道がなかなかなかったんです。ダラけて生活してたんで(笑)。それでボートレーサーは学歴不問ということもあって、目指しました。別に整備がメインとかじゃなくて、ボートレース自体に魅力を感じたんです。
――生まれは静岡県のどちらですか?
板橋 静岡県の伊東市です。だからボートレースはぜんぜん知らなかった。伊東には競輪があるので、子供の頃に連れて行ってもらったことはありましたが、子供にはなかなか響かなかったんですね。もしボートが身近にあったら、エンジン音でカッコいいって、その頃から思っていたかもしれないですね。
――ボートレーサーになると決心してから、ボートレースを見に行った。
板橋 平和島がいちばん近いんで、初めて行ったのは平和島です。高校3年のときに一人で行きましたね。2日後か3日後には江戸川にも行きました。そのときはやまと学校(現ボートレーサー養成所)の合格発表が来ていたんですよ。
――ボートレースを一度も生で見ることなく受験した?
板橋 そうですそうです。頭がいい人とか学校にちゃんと行ってた人は選択肢が多かったと思うんですけど、僕には一択だった。平均年収1600万円(当時)と聞いたら、そこしか道はなかったんですよね。
――それで一発合格ですか!
板橋 そうです。すごく努力しました。高3のはじめくらいに目指そうとなったとき、レーサーを目指す人の手伝いをしてくれるところがあって、そこに行ったら周りの人との差がすごかったんですよ。僕なんかが通用する世界じゃないと思っちゃった。それから3カ月かけてめちゃくちゃ努力して、もう1回行ってみたら、今度は周りの人より少し良かったりもして。それで、これはいけるかも、と思いました。
――通用する世界じゃないと思ったのに、僕には無理だとは思わなかったんですね。
板橋 この道しかなかったんで、「やるしかない!」って感じでした。そのときはボートレースの魅力も感じてましたしね。あと、当時付き合ってた彼女に振られたんです。僕が悪かったんですけど、その彼女に「あんたなんかじゃ無理だよ」って言われて。それで半年後に狭き門を通って見返して、もう1回告白しようって決めたんです。その火種があったおかげで頑張れたんで、彼女には感謝してます。そういう青春もしてましたね(笑)。
――彼女には告白したの?
板橋 待てど暮らせど来てくれなくて、2時間3時間くらい待ちましたね。それでも来てくれて、告白はできたんですけど、「戻ることはないと思う」って。告白するのがひとつの目標ではあったんで、言えたことでスッキリしました。いい刺激になりましたね。
――ボートレースを生で見ての感想は?
板橋 カッコいいし、爽快感もあるし、圧倒された感じでしたね。「自分はこれに乗るのか」って楽しみになりました。身近にエンジンがあって、ガソリンのにおいがして、カートをやっていた頃の記憶がよみがえりました。
――養成所での生活はいかがでしたか。
板橋 最初は早起きして3分間でキビキビ動かなきゃいけないことが、それまでダラダラ生活してたのと真逆で大変でした。僕、高校の頃はサッカー部に入ってて、ゴールキーパーやってたんですけど、この身長でガリガリで、通用するわけがないって挫折を味わったんですよ。ただ、家から遠い高校だったので、そのときは「みんなと同じ環境じゃないから」って言い訳してたんです。「みんなと同じ条件ならやれます」って。
――養成所は全寮制だから、同じ条件ですよ。
板橋 そうなんです。だから、たとえばベッドメイキングですら誰にも負けないって感じでやってましたね。だから僕、浮いてるヤツだったかもしれない(笑)。あまり積極的にやりまくって、同期のなかでも「あいつイッちゃってるな」って感じだったんで。他の子たちは別の道もあると思うんですけど、僕にはこれしかなかったら。
――相当に厳しい場所でもありますよね。
板橋 はい。でも、やめたいというのもなかったです。僕、かなり教官に怒られたタイプなんです。夏季休暇に入る前にもずっとボートに乗せてもらえなかったとか。ずっと立たされて、泣いたりもして、折れそうになったこともありましたけどね。前田篤哉と仲が良くて、118期の試験も一緒に受けたんですけど、「ここでやめて、また受けて、篤哉と同期になればいいな」ってのもあるにはありました。訓練に参加させてもらえないっていうのが辛くて。
――そんなに目をつけられてた?
板橋 めちゃくちゃ(笑)。森悠稀と僕がワンツーですね、同期のなかでは(笑)。覚えてるのは、共同の冷蔵庫にファイルと筆箱を置きっぱなしにしてしまったみたいで、次の朝にボートに乗ってたらめちゃくちゃ怒られて。「俺、なんにもしてないのに」って思ったんですけど、「お前、わからないのか。わかるまで考えとけ」って言われたんですよね。やばい、何のことかさっぱりわからない。30分か40分考えたところで、「やべ! ファイルだ!」ってわかったんです。
――単なる置きっぱなしでもそこまで怒られる。
板橋 だって、そのファイルがもしモーターの部品だったらやばいじゃないですか。
――整備違反とかになりかねない!
板橋 全部つながってるんですよ。教官もそういうところを考えて怒ってくれたんです。そういうケアレスミスが僕は多かったですね。
――ただ、水面での成績は良かった。
板橋 最初の頃は差がわからないじゃないですか。それが、新開航くんと2艇旋回のペアになって、それからお互いメキメキ上手くなっていきました。まだモンキーターンをやる前の座位で乗艇してたときなんですけど、教官にすごく成長してるって褒めてもらえたんですよね。だから、新開くんとペアになれたから上手くなれたんだと思います。彼がペアでよかった。
――リーグ戦でも2位の好成績。かなり先が開けた手応えはありましたか。
板橋 うーん、どうなんだろう。教官から常々「同期と自分を比べるな」って言われてたんですよ。レーサー招聘訓練にいらっしゃったレーサーに勝って喜ぶのはいいけど、同期に勝っても意味がないって。だから同期より成績がいいとか考えたことはなかったですね。だって、もしこの期のレベルが低かったら、そこで良くてもダメじゃないですか。
――でも結果的に卒業記念で優勝です!
板橋 そこもいろいろあるんです。僕の中では、同期ナンバーワンは(宮之原)輝紀だと思ってるんです。勝率1位ですからね。優勝戦で彼は、デビューしてからのことを見据えて1号艇なのに6コースから行くわけです。荘林(幸輝)教官への恩返しの意味も込めて。だけど、僕は輝紀と1号艇、2号艇のバトルをしたかった。だから、輝紀が6コースということでひと悶着あったんですよ。
――ひと悶着?
板橋 輝紀とバトルしたいがゆえに、ひどいこと言っちゃったんです。逃げるなよ、くらいのことを。彼はそういうつもりじゃないから怒ってしまって。それは謝りましたけどね。それを父に相談したら、「16年間、静岡からチャンプが出てないから、チャンプになってほしい」と言われて、それでインコースから行くことを選択しました。輝紀には輝紀なりに思いがあって、それは尊重するべきだって。懐かしいですね。
――ともかくチャンプになりました!
板橋 すごく緊張したし、嬉しかったのは間違いないです。
後編へ続く(2022/8/30頃更新予定)
板橋 5歳からレーシングカートをやってました。それで高校を卒業する時に、車の整備士かレースメカニックになれればいいなと思っていて、でも整備をしていると自分もドライバーとして出たくなってしまうだろうなと思って、父に相談したんです。そうしたら、レースも整備も自分でやるスポーツがあるよってボートレースを教えてもらいました。天職だと思ってその瞬間に決めました。
――もともとは整備のほうが志望だったんですか?
板橋 いや、僕は勉強も苦手で(笑)、進める道がなかなかなかったんです。ダラけて生活してたんで(笑)。それでボートレーサーは学歴不問ということもあって、目指しました。別に整備がメインとかじゃなくて、ボートレース自体に魅力を感じたんです。
――生まれは静岡県のどちらですか?
板橋 静岡県の伊東市です。だからボートレースはぜんぜん知らなかった。伊東には競輪があるので、子供の頃に連れて行ってもらったことはありましたが、子供にはなかなか響かなかったんですね。もしボートが身近にあったら、エンジン音でカッコいいって、その頃から思っていたかもしれないですね。
――ボートレーサーになると決心してから、ボートレースを見に行った。
板橋 平和島がいちばん近いんで、初めて行ったのは平和島です。高校3年のときに一人で行きましたね。2日後か3日後には江戸川にも行きました。そのときはやまと学校(現ボートレーサー養成所)の合格発表が来ていたんですよ。
――ボートレースを一度も生で見ることなく受験した?
板橋 そうですそうです。頭がいい人とか学校にちゃんと行ってた人は選択肢が多かったと思うんですけど、僕には一択だった。平均年収1600万円(当時)と聞いたら、そこしか道はなかったんですよね。
――それで一発合格ですか!
板橋 そうです。すごく努力しました。高3のはじめくらいに目指そうとなったとき、レーサーを目指す人の手伝いをしてくれるところがあって、そこに行ったら周りの人との差がすごかったんですよ。僕なんかが通用する世界じゃないと思っちゃった。それから3カ月かけてめちゃくちゃ努力して、もう1回行ってみたら、今度は周りの人より少し良かったりもして。それで、これはいけるかも、と思いました。
――通用する世界じゃないと思ったのに、僕には無理だとは思わなかったんですね。
板橋 この道しかなかったんで、「やるしかない!」って感じでした。そのときはボートレースの魅力も感じてましたしね。あと、当時付き合ってた彼女に振られたんです。僕が悪かったんですけど、その彼女に「あんたなんかじゃ無理だよ」って言われて。それで半年後に狭き門を通って見返して、もう1回告白しようって決めたんです。その火種があったおかげで頑張れたんで、彼女には感謝してます。そういう青春もしてましたね(笑)。
――彼女には告白したの?
板橋 待てど暮らせど来てくれなくて、2時間3時間くらい待ちましたね。それでも来てくれて、告白はできたんですけど、「戻ることはないと思う」って。告白するのがひとつの目標ではあったんで、言えたことでスッキリしました。いい刺激になりましたね。
――ボートレースを生で見ての感想は?
板橋 カッコいいし、爽快感もあるし、圧倒された感じでしたね。「自分はこれに乗るのか」って楽しみになりました。身近にエンジンがあって、ガソリンのにおいがして、カートをやっていた頃の記憶がよみがえりました。
――養成所での生活はいかがでしたか。
板橋 最初は早起きして3分間でキビキビ動かなきゃいけないことが、それまでダラダラ生活してたのと真逆で大変でした。僕、高校の頃はサッカー部に入ってて、ゴールキーパーやってたんですけど、この身長でガリガリで、通用するわけがないって挫折を味わったんですよ。ただ、家から遠い高校だったので、そのときは「みんなと同じ環境じゃないから」って言い訳してたんです。「みんなと同じ条件ならやれます」って。
――養成所は全寮制だから、同じ条件ですよ。
板橋 そうなんです。だから、たとえばベッドメイキングですら誰にも負けないって感じでやってましたね。だから僕、浮いてるヤツだったかもしれない(笑)。あまり積極的にやりまくって、同期のなかでも「あいつイッちゃってるな」って感じだったんで。他の子たちは別の道もあると思うんですけど、僕にはこれしかなかったら。
――相当に厳しい場所でもありますよね。
板橋 はい。でも、やめたいというのもなかったです。僕、かなり教官に怒られたタイプなんです。夏季休暇に入る前にもずっとボートに乗せてもらえなかったとか。ずっと立たされて、泣いたりもして、折れそうになったこともありましたけどね。前田篤哉と仲が良くて、118期の試験も一緒に受けたんですけど、「ここでやめて、また受けて、篤哉と同期になればいいな」ってのもあるにはありました。訓練に参加させてもらえないっていうのが辛くて。
――そんなに目をつけられてた?
板橋 めちゃくちゃ(笑)。森悠稀と僕がワンツーですね、同期のなかでは(笑)。覚えてるのは、共同の冷蔵庫にファイルと筆箱を置きっぱなしにしてしまったみたいで、次の朝にボートに乗ってたらめちゃくちゃ怒られて。「俺、なんにもしてないのに」って思ったんですけど、「お前、わからないのか。わかるまで考えとけ」って言われたんですよね。やばい、何のことかさっぱりわからない。30分か40分考えたところで、「やべ! ファイルだ!」ってわかったんです。
――単なる置きっぱなしでもそこまで怒られる。
板橋 だって、そのファイルがもしモーターの部品だったらやばいじゃないですか。
――整備違反とかになりかねない!
板橋 全部つながってるんですよ。教官もそういうところを考えて怒ってくれたんです。そういうケアレスミスが僕は多かったですね。
――ただ、水面での成績は良かった。
板橋 最初の頃は差がわからないじゃないですか。それが、新開航くんと2艇旋回のペアになって、それからお互いメキメキ上手くなっていきました。まだモンキーターンをやる前の座位で乗艇してたときなんですけど、教官にすごく成長してるって褒めてもらえたんですよね。だから、新開くんとペアになれたから上手くなれたんだと思います。彼がペアでよかった。
――リーグ戦でも2位の好成績。かなり先が開けた手応えはありましたか。
板橋 うーん、どうなんだろう。教官から常々「同期と自分を比べるな」って言われてたんですよ。レーサー招聘訓練にいらっしゃったレーサーに勝って喜ぶのはいいけど、同期に勝っても意味がないって。だから同期より成績がいいとか考えたことはなかったですね。だって、もしこの期のレベルが低かったら、そこで良くてもダメじゃないですか。
――でも結果的に卒業記念で優勝です!
板橋 そこもいろいろあるんです。僕の中では、同期ナンバーワンは(宮之原)輝紀だと思ってるんです。勝率1位ですからね。優勝戦で彼は、デビューしてからのことを見据えて1号艇なのに6コースから行くわけです。荘林(幸輝)教官への恩返しの意味も込めて。だけど、僕は輝紀と1号艇、2号艇のバトルをしたかった。だから、輝紀が6コースということでひと悶着あったんですよ。
――ひと悶着?
板橋 輝紀とバトルしたいがゆえに、ひどいこと言っちゃったんです。逃げるなよ、くらいのことを。彼はそういうつもりじゃないから怒ってしまって。それは謝りましたけどね。それを父に相談したら、「16年間、静岡からチャンプが出てないから、チャンプになってほしい」と言われて、それでインコースから行くことを選択しました。輝紀には輝紀なりに思いがあって、それは尊重するべきだって。懐かしいですね。
――ともかくチャンプになりました!
板橋 すごく緊張したし、嬉しかったのは間違いないです。
後編へ続く(2022/8/30頃更新予定)
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ロングインタビュー
後編
地元でGⅠ初優出。そして初優勝!
――やまとチャンプという肩書をひっさげてのデビューはいかがでしたか。
板橋 当時は純粋で、この世界のことを知らなかったので、自信満々で「どこまでやれるだろう」って感じでした。でも、デビュー前の一番最初の練習で簡単に跳ね返されてしまったんです。プロと、たかがやまとチャンプの違いが明らかだったんですよ。学校では6コースから全速で握っていけば2等や3等にはなれたものが、簡単に跳ね飛ばされた。僕の少し先輩と練習して、誰にも勝てなかったですからね。やまと学校(現ボートレーサー養成所)のレースの仕方では通用しなくて、これはしっかりまくり差しや差しを覚えなきゃってなりましたね。
――笠原亮さんに弟子入りしましたよね。
板橋 僕の奥さん(元レーサーの勝又桜さん)とは高校が一緒だったんで、レーサーになる前から連絡を取らせてもらってたんです。プロになってから「誰に師匠になってもらうのがいいと思いますか」って聞いたら、笠原さんとか佐々木康幸さんはどうかなって。学校での訓練中に笠原さんがチャレンジカップを優勝して、業界を知らなかった僕が静岡支部で服部幸男さんの次に知ったのが笠原さんだったんですよ。それもあって、笠原さんがいいなって。人柄を聞いたら、すごく優しい方だって言ってましたしね。
――優しいけど、仕事には厳しい方という印象です。
板橋 怒鳴られるようなことはないですけど、第三者から見て自分の行動はどうかとか、そういうところをしっかりしなさいって言われますね。技術的なことより、人とのかかわりを指導してもらいました。そういうところ、僕はちょっと弱いところがあるので(笑)。
――その後、昨年後期に初めてA1級に昇級しました。
板橋 A2の期間が2年半もありましたからね。A2になったのは5期目で早いほうだったと思うんですけど、そこから先の壁が高くて、苦しかったですね。どうやったらA1級になれるんだろう、って。僕、デビュー期とかプロペラをあんまり叩いてなかったんですよ。知識がないし、プロペラゲージもないから、当然といえば当然なんだけど、今思えばその頃からいろんなプロペラを試しておけばよかったと思ってるんです。外コースから行っていたときに、ですね。たとえば今、記念レースで1号艇や2号艇のとき、勝ちに行かなければならないから、プロペラで実験ができないじゃないですか。
――内枠なら人気にもなりますしね。でも外コースオンリーの頃はもっと実験できたと。
板橋 奇抜な形とか、伸び型、出足型に特化したものとか、できるときにもっとやっておくべきだったなというのはありますね。
――A1の壁を突破できなかったのはなぜだったと思ってますか。
板橋 とりあえずエンジンが出せない。また出てないときに走り方が変わっちゃう。消極的になったり、気持ちが萎えてしまう。エンジンが出てればキレるターンができるのに、ネガティブ思考なんですよね。3着キープしなければいけないときに、余裕があれば相手を見て差すとかできるはずなのに、無理に絞っていって飛ばされちゃうとか。悪いエンジンでもやってる人はいると思うんですけど、僕はもったいないレースをしてしまうんですね。それは今でも変わっていないような気がします。なんでA1級なんだろう(笑)。まだまだ成長できてないし、発展途上だなって思います。性格はなかなか変わらないですから、自分に自信をつけられる足に仕上げなきゃいけないですよね。あと、ここ最近はSGに出るために、周回誤認しちゃいけない、フライングしちゃいけない、って知らずのうちにセーブしていたような気もします。明日からは(取材翌日からボートレースクラシックに参戦)解放できるので楽しみにしてます。
――エンジンやプロペラについて、先輩とかに話を聞くとかは?
板橋 基本、1人でやろうって考えているんです。以前、地元浜名湖のルーキーシリーズで初日に振り込んだんですよ。それですぐに深谷(知博)さんに聞きに行って、「さすがに早いじゃん」って言われました。まだ教えることはできないって、突き放されたんです。そのときの打ち上げで、深谷さんに「あのときなぜ突き放したかわかる? 自分で考える力を身に着けてほしかったんだよ」って言ってもらって、それから簡単に人に聞くのはやめようって。一人でやってると、どうしても迷子にはなりやすいんですけどね。でも、しっかりメモにもとって、引き出しを増やすというか、データはとっていこうってやっています。
――そういうなかでも、今年はトップルーキーに選ばれました。
板橋 やっぱり素直に嬉しいです。また、記念に呼んでもらえることが増えると思うので、それがよかったなって思いますね。経験値を積めますからね。やっぱり記念には出たいです。揉まれて強くなっていくと思うので、そういう場所にたくさん行かないとと思っています。
――そこで、昨年の浜名湖周年です。初めての周年記念でGⅠ初優勝!
板橋 これは本当にうまくいきましたね。エンジンが化け物で、展開にも恵まれて、すべてが思い通りになったんですよ。
――たしかにエースモーターでしたけど、だから勝てるってものでもないでしょ。
板橋 みんなそれを言うんですけど、あのエンジンは本当にエグかったんですよ。ああいうモーターを引くと自分の自信にもなるし、勝てる気がするんです。相手がSGレーサーでも。それくらい、自分にはエンジンが大事なんです。
――いや、初めての周年でいいモーターを引いたら、逆にプレッシャーになると思うんですけど。
板橋 ここでこのエンジンを引いて通用しなかったら、自分はもう通用しないというプレッシャーはありました。でもワクワクもあったし、いざレースに行ってみたらプレッシャーを跳ね除けるくらいのエンジンだったんですよ。
――僕は正直、初日の初戦はさすがにちゃんとレースできるのか、くらいに見てたんですよ(1着)。
板橋 スリット後に伸びていって、(篠崎)仁志さんが左に絞りに行ってくれたんです。あれで2番が潰れて展開が生まれて。エンジンがいいと展開も生まれるんですよ。そこを突ける足もありましたしね。あと地元だから景色もわかってた、ってのもありましたけどね、地の利はあったと思いますね。
――それでも、エンジンや地の利だけでは片付けられない立派な優勝でした!
板橋 優勝戦は死ぬほど緊張しました。エグかったです(笑)。クリちゃん(同期の栗城匠)と一緒にSGに出られるって考えれば考えるほど、緊張しましたね。賞金が欲しいとかじゃなくて、これで勝てばSGに出られるってのがもう(笑)。
――先に栗城さんがクラシック出場を決めてましたね。
板橋 だから、9Rが終わったくらいからロッカールームでずっとうずくまってました。近場にいた(山本)稔太朗とか(豊田)健士郎さんとかには「こいつはダメだな」って思われてたかもしれない(笑)。
――緊張してたとは思えないレースでしたよ!
板橋 完璧なレースだったと思います。エンジンをかけた後には緊張は解けました。意外としっかりしてたと思います。スタートも行けたし。峰(竜太)さんとか深谷さんとかが隣にいて、めちゃくちゃビビってもいましたけど、クリちゃんとSGに行けると考えたら賞金のことは1ミリも頭になかったです(笑)。こんなに賞金のことを考えてないんだって、あとで思いましたね。勝ちたい、SGに行ってみたいという思いが強かったです。
――GⅠタイトルホルダーの仲間入りです!
板橋 ダラダラ生活していたような人間が、努力したらここまでこれるんだって証明になったと思います。まだまだ努力が足りないし、もっと努力しなきゃいけないんですけど、これがひとつの区切りにもなったとは思いますね。また、人に助けられたってことをすごく思います。先輩だったり家族だったり、先生だったり。これは一人ではできなかったと思います。
――明日からいよいよSG参戦です。意気込みはいかがですか。
板橋 一走一走、一歩一歩と思いがあります。だからまずは水神祭。そして予選突破。シリーズのなかで目標がひとつひとつ突破していけたらいいなと思います。まず前検日でいいエンジンを引きたいですね。
――いいエンジンじゃなくても水神祭を!
板橋 そうですね。勝ちにこだわることはSGでも変わらないです。怖気づかないよう、頑張ります!
板橋 当時は純粋で、この世界のことを知らなかったので、自信満々で「どこまでやれるだろう」って感じでした。でも、デビュー前の一番最初の練習で簡単に跳ね返されてしまったんです。プロと、たかがやまとチャンプの違いが明らかだったんですよ。学校では6コースから全速で握っていけば2等や3等にはなれたものが、簡単に跳ね飛ばされた。僕の少し先輩と練習して、誰にも勝てなかったですからね。やまと学校(現ボートレーサー養成所)のレースの仕方では通用しなくて、これはしっかりまくり差しや差しを覚えなきゃってなりましたね。
――笠原亮さんに弟子入りしましたよね。
板橋 僕の奥さん(元レーサーの勝又桜さん)とは高校が一緒だったんで、レーサーになる前から連絡を取らせてもらってたんです。プロになってから「誰に師匠になってもらうのがいいと思いますか」って聞いたら、笠原さんとか佐々木康幸さんはどうかなって。学校での訓練中に笠原さんがチャレンジカップを優勝して、業界を知らなかった僕が静岡支部で服部幸男さんの次に知ったのが笠原さんだったんですよ。それもあって、笠原さんがいいなって。人柄を聞いたら、すごく優しい方だって言ってましたしね。
――優しいけど、仕事には厳しい方という印象です。
板橋 怒鳴られるようなことはないですけど、第三者から見て自分の行動はどうかとか、そういうところをしっかりしなさいって言われますね。技術的なことより、人とのかかわりを指導してもらいました。そういうところ、僕はちょっと弱いところがあるので(笑)。
――その後、昨年後期に初めてA1級に昇級しました。
板橋 A2の期間が2年半もありましたからね。A2になったのは5期目で早いほうだったと思うんですけど、そこから先の壁が高くて、苦しかったですね。どうやったらA1級になれるんだろう、って。僕、デビュー期とかプロペラをあんまり叩いてなかったんですよ。知識がないし、プロペラゲージもないから、当然といえば当然なんだけど、今思えばその頃からいろんなプロペラを試しておけばよかったと思ってるんです。外コースから行っていたときに、ですね。たとえば今、記念レースで1号艇や2号艇のとき、勝ちに行かなければならないから、プロペラで実験ができないじゃないですか。
――内枠なら人気にもなりますしね。でも外コースオンリーの頃はもっと実験できたと。
板橋 奇抜な形とか、伸び型、出足型に特化したものとか、できるときにもっとやっておくべきだったなというのはありますね。
――A1の壁を突破できなかったのはなぜだったと思ってますか。
板橋 とりあえずエンジンが出せない。また出てないときに走り方が変わっちゃう。消極的になったり、気持ちが萎えてしまう。エンジンが出てればキレるターンができるのに、ネガティブ思考なんですよね。3着キープしなければいけないときに、余裕があれば相手を見て差すとかできるはずなのに、無理に絞っていって飛ばされちゃうとか。悪いエンジンでもやってる人はいると思うんですけど、僕はもったいないレースをしてしまうんですね。それは今でも変わっていないような気がします。なんでA1級なんだろう(笑)。まだまだ成長できてないし、発展途上だなって思います。性格はなかなか変わらないですから、自分に自信をつけられる足に仕上げなきゃいけないですよね。あと、ここ最近はSGに出るために、周回誤認しちゃいけない、フライングしちゃいけない、って知らずのうちにセーブしていたような気もします。明日からは(取材翌日からボートレースクラシックに参戦)解放できるので楽しみにしてます。
――エンジンやプロペラについて、先輩とかに話を聞くとかは?
板橋 基本、1人でやろうって考えているんです。以前、地元浜名湖のルーキーシリーズで初日に振り込んだんですよ。それですぐに深谷(知博)さんに聞きに行って、「さすがに早いじゃん」って言われました。まだ教えることはできないって、突き放されたんです。そのときの打ち上げで、深谷さんに「あのときなぜ突き放したかわかる? 自分で考える力を身に着けてほしかったんだよ」って言ってもらって、それから簡単に人に聞くのはやめようって。一人でやってると、どうしても迷子にはなりやすいんですけどね。でも、しっかりメモにもとって、引き出しを増やすというか、データはとっていこうってやっています。
――そういうなかでも、今年はトップルーキーに選ばれました。
板橋 やっぱり素直に嬉しいです。また、記念に呼んでもらえることが増えると思うので、それがよかったなって思いますね。経験値を積めますからね。やっぱり記念には出たいです。揉まれて強くなっていくと思うので、そういう場所にたくさん行かないとと思っています。
――そこで、昨年の浜名湖周年です。初めての周年記念でGⅠ初優勝!
板橋 これは本当にうまくいきましたね。エンジンが化け物で、展開にも恵まれて、すべてが思い通りになったんですよ。
――たしかにエースモーターでしたけど、だから勝てるってものでもないでしょ。
板橋 みんなそれを言うんですけど、あのエンジンは本当にエグかったんですよ。ああいうモーターを引くと自分の自信にもなるし、勝てる気がするんです。相手がSGレーサーでも。それくらい、自分にはエンジンが大事なんです。
――いや、初めての周年でいいモーターを引いたら、逆にプレッシャーになると思うんですけど。
板橋 ここでこのエンジンを引いて通用しなかったら、自分はもう通用しないというプレッシャーはありました。でもワクワクもあったし、いざレースに行ってみたらプレッシャーを跳ね除けるくらいのエンジンだったんですよ。
――僕は正直、初日の初戦はさすがにちゃんとレースできるのか、くらいに見てたんですよ(1着)。
板橋 スリット後に伸びていって、(篠崎)仁志さんが左に絞りに行ってくれたんです。あれで2番が潰れて展開が生まれて。エンジンがいいと展開も生まれるんですよ。そこを突ける足もありましたしね。あと地元だから景色もわかってた、ってのもありましたけどね、地の利はあったと思いますね。
――それでも、エンジンや地の利だけでは片付けられない立派な優勝でした!
板橋 優勝戦は死ぬほど緊張しました。エグかったです(笑)。クリちゃん(同期の栗城匠)と一緒にSGに出られるって考えれば考えるほど、緊張しましたね。賞金が欲しいとかじゃなくて、これで勝てばSGに出られるってのがもう(笑)。
――先に栗城さんがクラシック出場を決めてましたね。
板橋 だから、9Rが終わったくらいからロッカールームでずっとうずくまってました。近場にいた(山本)稔太朗とか(豊田)健士郎さんとかには「こいつはダメだな」って思われてたかもしれない(笑)。
――緊張してたとは思えないレースでしたよ!
板橋 完璧なレースだったと思います。エンジンをかけた後には緊張は解けました。意外としっかりしてたと思います。スタートも行けたし。峰(竜太)さんとか深谷さんとかが隣にいて、めちゃくちゃビビってもいましたけど、クリちゃんとSGに行けると考えたら賞金のことは1ミリも頭になかったです(笑)。こんなに賞金のことを考えてないんだって、あとで思いましたね。勝ちたい、SGに行ってみたいという思いが強かったです。
――GⅠタイトルホルダーの仲間入りです!
板橋 ダラダラ生活していたような人間が、努力したらここまでこれるんだって証明になったと思います。まだまだ努力が足りないし、もっと努力しなきゃいけないんですけど、これがひとつの区切りにもなったとは思いますね。また、人に助けられたってことをすごく思います。先輩だったり家族だったり、先生だったり。これは一人ではできなかったと思います。
――明日からいよいよSG参戦です。意気込みはいかがですか。
板橋 一走一走、一歩一歩と思いがあります。だからまずは水神祭。そして予選突破。シリーズのなかで目標がひとつひとつ突破していけたらいいなと思います。まず前検日でいいエンジンを引きたいですね。
――いいエンジンじゃなくても水神祭を!
板橋 そうですね。勝ちにこだわることはSGでも変わらないです。怖気づかないよう、頑張ります!
水神祭記録
初出走
|
2016年5月20日~ | ボートレース浜名湖 | 一般 |
---|---|---|---|
初1着
|
2016年7月6日~ | ボートレース戸田 | 一般 |
初優出
|
2018年1月13日~ | ボートレース浜名湖 | 一般 |
初優勝
|
2018年11月21日~ | ボートレース大村 | 一般 |
Q & A
- Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
- A記念レースに呼んで頂けて嬉しく思います。
- Q自分のレーススタイルを教えてください。
- Aエンジンが出ているとキレるターンができる。
- Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
- A全速まくり差し。
- Qリラックス方法をおしえてください。
- A加湿器にアロマオイルを入れる。
- Q2022年の目標を教えて下さい。
- Aまずはグランプリシリーズに行けるように一走入魂!
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