TOP ROOKIE 2022トップルーキー 2022
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4939宮之原 輝紀
1走1走しっかり走ります!
Information 2022年1月現在
- 生年月日:1997/11/26
- 支部:東京
- 出身地:東京都
- 身長:161cm
- 体重:52kg
- 登録期:118
- 級別:A1
- 血液型:O
トップルーキー2022 4939 宮之原輝紀
2016年5月3日平和島ボートデビュー「東都の新星」として王道を行く!
養成所勝率8.12でプロデビューしてきた118期の逸材は当初から注目の的であった。
そのレースは柔軟で巧み。まるで勝負の機微をはじめから知っているかのようである。
よどみなき技が光るレーサーなのだ。
デビュー2カ月で初勝利をあげ、4期目には6.00の勝率をマークし、3年目にA1級昇級ととんとん拍子で出世してきた。
さらに、令和元年には「最優秀新人選手」に輝いている。
「東都の新星」は常にスポットライトを浴び続ける存在である。
2019年から4年連続でトップルーキーに選ばれていることからも分かるように、正真正銘の若手代表である。
王道を行く者はオールマイティでなければならない。高い水準でバランスのとれた第一線級レーサーが威風堂々のレースをみせてくれるに違いない。
そのレースは柔軟で巧み。まるで勝負の機微をはじめから知っているかのようである。
よどみなき技が光るレーサーなのだ。
デビュー2カ月で初勝利をあげ、4期目には6.00の勝率をマークし、3年目にA1級昇級ととんとん拍子で出世してきた。
さらに、令和元年には「最優秀新人選手」に輝いている。
「東都の新星」は常にスポットライトを浴び続ける存在である。
2019年から4年連続でトップルーキーに選ばれていることからも分かるように、正真正銘の若手代表である。
王道を行く者はオールマイティでなければならない。高い水準でバランスのとれた第一線級レーサーが威風堂々のレースをみせてくれるに違いない。
宮之原 輝紀 選手
×
BOATBoy編集長
黒須田守
ロングインタビュー
前編
養成所成績1位。
2019年最優秀新人受賞。
――まずはレーサーを志したきっかけを教えてください。
宮之原 小学校1年生か2年生の頃に、父の知り合いの方に平和島ボートに連れて行っていただいて、レースを生で見たんです。迫力があって格好いいな、って思いました。そのときはそれが仕事て意識はなくて、ボートに乗ってみたいなと思ったんですよね。
――お父様は平和島で整備士をされていましたよね。
宮之原 父がその仕事をしてなかったら、ボートレース業界を知らなかったと思います。小さい頃からボートレースが身近なところにあったのは、レーサーを志すきっかけになってると思ってます。
――ボートレーサーになりたいということをお父様には話してましたか?
宮之原 小さい頃から話していたと思います。最初は父も、僕の本気度がわかってなかったと思うんですけど、高校に入ってやまと学校(現ボートレーサー養成所)の試験を受けるようになってからは、すごく応援してくれてましたね。
――ボートレーサー以外の道は考えませんでしたか?
宮之原 そうですね。高校生になった頃には、他の仕事は考えてなかったです。試験は115期からだったかな……高校1年のときから試験は受けていて、4回目で合格しました(118期)。
――最初は合格しなかったんですね。
宮之原 ずっと学科が通らなかったんです。4回目のときはめちゃくちゃ本気で勉強しましたね。正直、最初の頃は舐めてかかってたところがあって(笑)。「受かるだろ」って感じだったんですけど、当然ダメで(笑)。
――4回目で合格したときの気持ちは?
宮之原 すごく嬉しかったのを覚えてますね。でも、それでレーサーになれるというわけではないので、学校では頑張らなきゃいけないな、とも思いました。
――養成所での訓練は厳しいとよく耳にしますけど。
宮之原 それは最初の頃だけでしたかね。入って1~2カ月くらいは、自分が思ってたよりキツいところがありました。けっこう教官にも怒られていたので、その頃は長く感じましたね。でも、ボートに乗り始めてからは楽しくなって、あとはあっと言う間でした。
――キツかった頃に、「もうやめよう」とか思いませんでしたか?
宮之原 何回も思いました。学校では週末に電話することが許されているんですけど、親だったり友達だったりと話したりして、それで救われましたね。あと手紙をもらって、そこで励ましの言葉をけっこうもらいました。
――操縦課業も大変だったのでは?
宮之原 ボートに乗ることが好きなんで、苦痛に感じたことはなかったですね。もちろん教官は厳しかったけど、それも苦にはならなかったですね。
――最初から上手く乗れたんですか?
宮之原 それはわからないですけど、最初の半年は自分で乗る機会を潰してました(笑)。学科で欠点とっちゃって……。
――そうすると操縦課業に参加させてもらえない(笑)。
宮之原 苦しかったですね。
――ただ、養成所での成績はトップでした!
宮之原 リーグ戦の成績は良かったですけど、それは期の中だけの話ですからね。プロになって通用するとは思ってなかったです。父にも「学校を出てからが大事だ」って言われてましたし、訓練中はこれで通用するという手応えはなかったですね。成績1位で嬉しいというのもなかった。
――訓練での思い出はありますか。
宮之原 訓練最後のほうで荘林(幸輝)教官とレースをさせていただいた機会があって、それは鮮明に覚えてますね。メンバーまでは覚えてなくて、教官は3号艇くらいだったんですけど、ピット離れから何艇身も出られたんですよ。教官はそれでセンターに入ったと思うんですけど、何から何まですごくて、まったくかないませんでした。
――宮之原さんは何コース?
宮之原 自分が6コースからだったんですけど、勝てなかったです。ずっと一線級で戦われていた方はほんと凄いなって。それでまだまだ頑張らなきゃ、と思いました。
――リーグ戦成績で1位になったことで、卒業記念競走では優勝戦に乗りました。しかも1号艇。
宮之原。はい。
――ところが、レースでは6コースに出たんですよね。
宮之原 デビューしてからは6コースを走ることが多いじゃないですか。荘林教官からも「外からいいレースをするのが大事だ」って言われていて、だから訓練中もリーグ戦の最後のほうはずっと6コースから行っていたんですよ。だから最後も6コースから行って勝てたら、教官方に恩返しができるのかなって思ってましたね。結果はダメだったんですけど、そういう気持ちだったんです。
――優勝するなら枠なりで1コースに入れば、可能性は大きかった。
宮之原 優出が決まった段階から6コースから行こうって決めてました。
――ということは、卒業記念の優勝を目標にしていなかったということですかね?
宮之原 そこは正直あんまり意識してなかったです。デビューしてからが勝負だっていう思いが強かったですから。
――なるほど。じゃあ、デビューできたことは嬉しかった?
宮之原 いや、そこで終わりじゃないですからね。レーサーになれたことはよかったんですけど、それからが大事だと思ってました。父からも、また学校にレーサー招聘訓練で来てくださったレーサーからもそう言われていたので、自然とそんな意識になっていたかもしれないです。
――では、その頃の目標は?
宮之原 とりあえず少しでも早くA1級になりたいなって気持ちでした。最初は6コースばかりでしたから、思ったより難しいなというのは正直ありましたけどね。
――デビュー戦(平和島)のことは憶えてますか?
宮之原 前検日は先輩方への挨拶回りや準備作業などで大変でした(笑)。休む間もないって感じで。でも、これは誰しも通ってきた道ですからね。苦痛ではなかったです。それに時間がすぐに過ぎていったような気もします。
――デビュー戦当日は?(2016年5月3日)
宮之原 展示が終わったくらいからはすごく緊張してましたね。レースはスタートでちょっと先行して、まくりに行ったんですけど、出口で失速して4着。今見れば1等を獲れるレースなんですけど、技術が足りなかったですね。出口でミスって振り込み加減になって。無我夢中だったので正直ハッキリは覚えてないんですけど。
――それから初勝利まで2カ月ほどかかりました。プロは厳しいと痛感したのか、それともレーサーになって楽しいと感じていたのか、いかがですか。
宮之原 楽しいという思いのほうがぜんぜん強かったですね。「やらなきゃ!」という気持ちもあったんで、あまりヘコんだこともなかったと思います。ボートに乗るのが好きなんで、今でも仕事という感覚があまりなくて(笑)、自分の好きなことをやってるって感じなんです。整備だったりプロペラだったりは、正直あまり好きじゃないんですけど(笑)。整備も学校ではずっと欠点ギリギリだったんですよね。でも、それはレースに必要な技術なんで、今後は勉強していかなければいけないと思ってます。
――その後は順調に成績を伸ばしていって、2019年には最優秀新人を受賞しました。
宮之原 その年は優勝もしてなかったし、結果を出せてなかったので、選ばれたときは申し訳ない気持ちがありましたね。
――申し訳ない!?
宮之原 過去に受章された方を見ても、みんな結果を出してる人ばかりだったんで、「自分なんかが……」って。嬉しかったのは嬉しかったですけど、それに対しての実力や成績が伴ってなかった。だからちょっと恥ずかしいなって感じもありましたね。別の世代に自分がいたら獲れてなかったんじゃないか、とも思いました。
後編へ続く(2022/8/15頃更新予定)
宮之原 小学校1年生か2年生の頃に、父の知り合いの方に平和島ボートに連れて行っていただいて、レースを生で見たんです。迫力があって格好いいな、って思いました。そのときはそれが仕事て意識はなくて、ボートに乗ってみたいなと思ったんですよね。
――お父様は平和島で整備士をされていましたよね。
宮之原 父がその仕事をしてなかったら、ボートレース業界を知らなかったと思います。小さい頃からボートレースが身近なところにあったのは、レーサーを志すきっかけになってると思ってます。
――ボートレーサーになりたいということをお父様には話してましたか?
宮之原 小さい頃から話していたと思います。最初は父も、僕の本気度がわかってなかったと思うんですけど、高校に入ってやまと学校(現ボートレーサー養成所)の試験を受けるようになってからは、すごく応援してくれてましたね。
――ボートレーサー以外の道は考えませんでしたか?
宮之原 そうですね。高校生になった頃には、他の仕事は考えてなかったです。試験は115期からだったかな……高校1年のときから試験は受けていて、4回目で合格しました(118期)。
――最初は合格しなかったんですね。
宮之原 ずっと学科が通らなかったんです。4回目のときはめちゃくちゃ本気で勉強しましたね。正直、最初の頃は舐めてかかってたところがあって(笑)。「受かるだろ」って感じだったんですけど、当然ダメで(笑)。
――4回目で合格したときの気持ちは?
宮之原 すごく嬉しかったのを覚えてますね。でも、それでレーサーになれるというわけではないので、学校では頑張らなきゃいけないな、とも思いました。
――養成所での訓練は厳しいとよく耳にしますけど。
宮之原 それは最初の頃だけでしたかね。入って1~2カ月くらいは、自分が思ってたよりキツいところがありました。けっこう教官にも怒られていたので、その頃は長く感じましたね。でも、ボートに乗り始めてからは楽しくなって、あとはあっと言う間でした。
――キツかった頃に、「もうやめよう」とか思いませんでしたか?
宮之原 何回も思いました。学校では週末に電話することが許されているんですけど、親だったり友達だったりと話したりして、それで救われましたね。あと手紙をもらって、そこで励ましの言葉をけっこうもらいました。
――操縦課業も大変だったのでは?
宮之原 ボートに乗ることが好きなんで、苦痛に感じたことはなかったですね。もちろん教官は厳しかったけど、それも苦にはならなかったですね。
――最初から上手く乗れたんですか?
宮之原 それはわからないですけど、最初の半年は自分で乗る機会を潰してました(笑)。学科で欠点とっちゃって……。
――そうすると操縦課業に参加させてもらえない(笑)。
宮之原 苦しかったですね。
――ただ、養成所での成績はトップでした!
宮之原 リーグ戦の成績は良かったですけど、それは期の中だけの話ですからね。プロになって通用するとは思ってなかったです。父にも「学校を出てからが大事だ」って言われてましたし、訓練中はこれで通用するという手応えはなかったですね。成績1位で嬉しいというのもなかった。
――訓練での思い出はありますか。
宮之原 訓練最後のほうで荘林(幸輝)教官とレースをさせていただいた機会があって、それは鮮明に覚えてますね。メンバーまでは覚えてなくて、教官は3号艇くらいだったんですけど、ピット離れから何艇身も出られたんですよ。教官はそれでセンターに入ったと思うんですけど、何から何まですごくて、まったくかないませんでした。
――宮之原さんは何コース?
宮之原 自分が6コースからだったんですけど、勝てなかったです。ずっと一線級で戦われていた方はほんと凄いなって。それでまだまだ頑張らなきゃ、と思いました。
――リーグ戦成績で1位になったことで、卒業記念競走では優勝戦に乗りました。しかも1号艇。
宮之原。はい。
――ところが、レースでは6コースに出たんですよね。
宮之原 デビューしてからは6コースを走ることが多いじゃないですか。荘林教官からも「外からいいレースをするのが大事だ」って言われていて、だから訓練中もリーグ戦の最後のほうはずっと6コースから行っていたんですよ。だから最後も6コースから行って勝てたら、教官方に恩返しができるのかなって思ってましたね。結果はダメだったんですけど、そういう気持ちだったんです。
――優勝するなら枠なりで1コースに入れば、可能性は大きかった。
宮之原 優出が決まった段階から6コースから行こうって決めてました。
――ということは、卒業記念の優勝を目標にしていなかったということですかね?
宮之原 そこは正直あんまり意識してなかったです。デビューしてからが勝負だっていう思いが強かったですから。
――なるほど。じゃあ、デビューできたことは嬉しかった?
宮之原 いや、そこで終わりじゃないですからね。レーサーになれたことはよかったんですけど、それからが大事だと思ってました。父からも、また学校にレーサー招聘訓練で来てくださったレーサーからもそう言われていたので、自然とそんな意識になっていたかもしれないです。
――では、その頃の目標は?
宮之原 とりあえず少しでも早くA1級になりたいなって気持ちでした。最初は6コースばかりでしたから、思ったより難しいなというのは正直ありましたけどね。
――デビュー戦(平和島)のことは憶えてますか?
宮之原 前検日は先輩方への挨拶回りや準備作業などで大変でした(笑)。休む間もないって感じで。でも、これは誰しも通ってきた道ですからね。苦痛ではなかったです。それに時間がすぐに過ぎていったような気もします。
――デビュー戦当日は?(2016年5月3日)
宮之原 展示が終わったくらいからはすごく緊張してましたね。レースはスタートでちょっと先行して、まくりに行ったんですけど、出口で失速して4着。今見れば1等を獲れるレースなんですけど、技術が足りなかったですね。出口でミスって振り込み加減になって。無我夢中だったので正直ハッキリは覚えてないんですけど。
――それから初勝利まで2カ月ほどかかりました。プロは厳しいと痛感したのか、それともレーサーになって楽しいと感じていたのか、いかがですか。
宮之原 楽しいという思いのほうがぜんぜん強かったですね。「やらなきゃ!」という気持ちもあったんで、あまりヘコんだこともなかったと思います。ボートに乗るのが好きなんで、今でも仕事という感覚があまりなくて(笑)、自分の好きなことをやってるって感じなんです。整備だったりプロペラだったりは、正直あまり好きじゃないんですけど(笑)。整備も学校ではずっと欠点ギリギリだったんですよね。でも、それはレースに必要な技術なんで、今後は勉強していかなければいけないと思ってます。
――その後は順調に成績を伸ばしていって、2019年には最優秀新人を受賞しました。
宮之原 その年は優勝もしてなかったし、結果を出せてなかったので、選ばれたときは申し訳ない気持ちがありましたね。
――申し訳ない!?
宮之原 過去に受章された方を見ても、みんな結果を出してる人ばかりだったんで、「自分なんかが……」って。嬉しかったのは嬉しかったですけど、それに対しての実力や成績が伴ってなかった。だからちょっと恥ずかしいなって感じもありましたね。別の世代に自分がいたら獲れてなかったんじゃないか、とも思いました。
後編へ続く(2022/8/15頃更新予定)
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ロングインタビュー
後編
今年はグランプリシリーズに出たい!
――A1級になって、2019年にはトップルーキーに選ばれました。
宮之原 今年が4回目ですかね。
――はい、4年連続で選ばれています。
宮之原 すごいありがたいですよね。そのことで違う心持になるというわけではないですけど、やはりありがたいことです。
――講習会とかもありますよね。
宮之原 違う業種の方の話を聞けるので、すごくためになってます。競技は違っても、試合に対する臨み方や準備の仕方は参考になる。この間は松坂大輔さんの講話があったんですけど、睡眠がめっちゃ大事って言ってました。また、登板の日はぜんぜん緊張しない、普段の練習でかなり追い込むから本番のほうが楽なんだそうです。それはボートレースにも通じる話で、やっぱり準備段階が大事なんだなって思いましたね。
――A1級になって、GⅠへの斡旋も入るようになりました。昇級後すぐに蒲郡周年を走って、いきなり予選突破。
宮之原 あんまり覚えてないですけど、「予選突破できたらいいな」くらいな感じで走ってたんです。で、突破できたんですけど、通用してたわけではなかった。GⅠは凄いなって思いました。
――その頃、多摩川のボートレースバトルトーナメントに出場して、前検日に「凄い人ばっかり……」って話しかけてきたんですよ。
宮之原 言った記憶あります(笑)。
――気後れはあったんですか?
宮之原 気後れしかなかったです(笑)。自分がスタンドで見てた人と一緒にレースするんだと思ったら、変な気持ちになっちゃったんです。気持ちで負けてたんで、レースで勝てるわけがないですよね(笑)。
――ただ、節中に桐生順平さんと話してたのを見たんですよ。アドバイスを受けてる感じだったんですが、それは自分から話しかけたんですか?
宮之原 はい。その前にも一緒になったことがあって、そのときにも話した記憶があります。
――同じ関東地区とはいえ、支部が違うスーパースターの先輩に声をかけるのはハードルが高いと思ったんですよ。
宮之原 そういうのはまったくなくて、そういうレーサーに会える機会はなかなかなかったので、得られるものは得たいなって思ったんですよね。だから正直に聞きました。「どんな感じで乗られてるんですか?」って。
――そこは気後れしてないんだ(笑)。
宮之原 自分がレーサーになったとき、桐生さんのターンを見て鳥肌が立ったんですよ。スピードと旋回半径が比例してないんです。同じ乗り物に乗ってるように見えなかったんですよね。だから「どうなってるんだろう?」って素直に聞きました。そういう先輩から教わるのはすごく楽しいし、考え方とかはすごく勉強になります。今でも他の支部の先輩ともけっこう話させていただいてますね。
――その年は三国のヤングダービーで優出しました。
宮之原 とりあえずよかったな、とは思いました。あのときはエンジンがけっこう良くて、前検日に乗ったとき、自分がミスしなければいいところまで行けるって思ってたんです。
――同世代のなかでは自分はかなりいいところにいると思えましたか?
宮之原 いや、そのときもう羽野(直也)さんとか(仲谷)颯仁さんはGⅠを獲ってたんで、ぜんぜんそんな感じではなかったです。だから、手応えにはぜんぜんなってなかったですね。達成感もなかった。
――高いハードルを自分に課してる。
宮之原 どうですかね。実際まだSGにも出られてないんで、ぜんぜんまだまだダメだってのがありますね。まだヘタクソだなって。SGに出られてないってことは結果を出せてないってことなんで、そこが気になってるんです。
――だったら、去年の平和島の周年で同期の栗城匠さんが優勝したことについては?
宮之原 あのときは嬉しかったですね。悔しいってのはぜんぜんなくて、すげえなって思いました。
――先を越されたわけですよ。
宮之原 でも、どうですかね……それに関してはあまり意識してないです。それで「俺も!」みたいに焦ってもいいことないと思うんで。
――栗城さんはSGに行きますよ(取材後にボートレースクラシックが開催)。
宮之原 板橋(侑我)くんもですけど、素直に頑張ってほしいと思います。
――本音?(笑)
宮之原 本音中の本音です(笑)。
――同期がGⅠを優勝して、感じたものが大きいと思うんですけど。
宮之原 二人ともGⅠ初優出でGⅠ初優勝してるんで、それは凄いことなんですけど、タイミングというか、運も大事なのかなって思いました。だから自分も淡々とやって、チャンスが来た時に掴みたいなって思います。
――昨年の桐生周年では優出しましたね。
宮之原 あれは情けないレースでしたね。
――スタートで遅れてしまった。
宮之原 (ボートに)めっちゃ水が入っちゃったんですよ。それで起きてこなくなっちゃって。早く起こしたんですけど、遅れてしまった。
――それはツイてなかった。
宮之原 いや、あのときはピット離れでもちょっと出たんですけど、コースを獲りに行けなかったんです。勝負に対してシビアにならなきゃいけないな、って思いました。だからいい経験になったと思ってます。
――なるほど。この2022年について、何か目標はありますか?
宮之原 年頭は、「グランプリシリーズに出たいな」って思ってたんですけど、今年はリズムが最悪です(笑)。とりあえずレースをしていかないと変わらないと思うので、今まで通りがむしゃらにレースしたいですね。
――やはりSGにそろそろ行きたいですよね。
宮之原 権利をまず獲りたいですよね。やはり今後の目標は、SGに出て、そしてSGに定着できるようになりたいです。SG優勝とまでデカいことはまだ言えないですけど(笑)、まずは記念で安定した成績をコンスタントに獲れるようになったらSGでも戦えると思うんで、まずは地力をつけたいですね。
――そのための課題はありますか?
宮之原 やっぱりターンですね。
――えっ、上手いほうだと思うけど。
宮之原 いや、記念に行ったら「えっ、なんで?」ってくらい上手い人がいっぱいいるので、自分もターンのレベルを上げていけたらいいなって思うんです。ターンがもっと上手くなればエンジンが出てなくても着を獲れると思うんで、そこを磨いていきたいです。
――話を聞いていると、謙虚というか、一歩一歩、上を目指していこうという感じに思えるんですが、そういうタイプなんですか?
宮之原 わりとそうだと思います。あまりデカいことは言わないほうだと思います。
――それこそ「目標は賞金王!」って言ってもいいと思うんですけどね(笑)。
宮之原 それを目標にできる成績を取れるようになったら見えてくると思うんですけど、まだ実力とかけ離れていて、そういうことは今は言えないです。もちろん、それが夢ではありますよ。SG常連になるのはもちろんですけど、毎年グランプリに行けるレーサーになれたらいいなとは思ってます。
宮之原 今年が4回目ですかね。
――はい、4年連続で選ばれています。
宮之原 すごいありがたいですよね。そのことで違う心持になるというわけではないですけど、やはりありがたいことです。
――講習会とかもありますよね。
宮之原 違う業種の方の話を聞けるので、すごくためになってます。競技は違っても、試合に対する臨み方や準備の仕方は参考になる。この間は松坂大輔さんの講話があったんですけど、睡眠がめっちゃ大事って言ってました。また、登板の日はぜんぜん緊張しない、普段の練習でかなり追い込むから本番のほうが楽なんだそうです。それはボートレースにも通じる話で、やっぱり準備段階が大事なんだなって思いましたね。
――A1級になって、GⅠへの斡旋も入るようになりました。昇級後すぐに蒲郡周年を走って、いきなり予選突破。
宮之原 あんまり覚えてないですけど、「予選突破できたらいいな」くらいな感じで走ってたんです。で、突破できたんですけど、通用してたわけではなかった。GⅠは凄いなって思いました。
――その頃、多摩川のボートレースバトルトーナメントに出場して、前検日に「凄い人ばっかり……」って話しかけてきたんですよ。
宮之原 言った記憶あります(笑)。
――気後れはあったんですか?
宮之原 気後れしかなかったです(笑)。自分がスタンドで見てた人と一緒にレースするんだと思ったら、変な気持ちになっちゃったんです。気持ちで負けてたんで、レースで勝てるわけがないですよね(笑)。
――ただ、節中に桐生順平さんと話してたのを見たんですよ。アドバイスを受けてる感じだったんですが、それは自分から話しかけたんですか?
宮之原 はい。その前にも一緒になったことがあって、そのときにも話した記憶があります。
――同じ関東地区とはいえ、支部が違うスーパースターの先輩に声をかけるのはハードルが高いと思ったんですよ。
宮之原 そういうのはまったくなくて、そういうレーサーに会える機会はなかなかなかったので、得られるものは得たいなって思ったんですよね。だから正直に聞きました。「どんな感じで乗られてるんですか?」って。
――そこは気後れしてないんだ(笑)。
宮之原 自分がレーサーになったとき、桐生さんのターンを見て鳥肌が立ったんですよ。スピードと旋回半径が比例してないんです。同じ乗り物に乗ってるように見えなかったんですよね。だから「どうなってるんだろう?」って素直に聞きました。そういう先輩から教わるのはすごく楽しいし、考え方とかはすごく勉強になります。今でも他の支部の先輩ともけっこう話させていただいてますね。
――その年は三国のヤングダービーで優出しました。
宮之原 とりあえずよかったな、とは思いました。あのときはエンジンがけっこう良くて、前検日に乗ったとき、自分がミスしなければいいところまで行けるって思ってたんです。
――同世代のなかでは自分はかなりいいところにいると思えましたか?
宮之原 いや、そのときもう羽野(直也)さんとか(仲谷)颯仁さんはGⅠを獲ってたんで、ぜんぜんそんな感じではなかったです。だから、手応えにはぜんぜんなってなかったですね。達成感もなかった。
――高いハードルを自分に課してる。
宮之原 どうですかね。実際まだSGにも出られてないんで、ぜんぜんまだまだダメだってのがありますね。まだヘタクソだなって。SGに出られてないってことは結果を出せてないってことなんで、そこが気になってるんです。
――だったら、去年の平和島の周年で同期の栗城匠さんが優勝したことについては?
宮之原 あのときは嬉しかったですね。悔しいってのはぜんぜんなくて、すげえなって思いました。
――先を越されたわけですよ。
宮之原 でも、どうですかね……それに関してはあまり意識してないです。それで「俺も!」みたいに焦ってもいいことないと思うんで。
――栗城さんはSGに行きますよ(取材後にボートレースクラシックが開催)。
宮之原 板橋(侑我)くんもですけど、素直に頑張ってほしいと思います。
――本音?(笑)
宮之原 本音中の本音です(笑)。
――同期がGⅠを優勝して、感じたものが大きいと思うんですけど。
宮之原 二人ともGⅠ初優出でGⅠ初優勝してるんで、それは凄いことなんですけど、タイミングというか、運も大事なのかなって思いました。だから自分も淡々とやって、チャンスが来た時に掴みたいなって思います。
――昨年の桐生周年では優出しましたね。
宮之原 あれは情けないレースでしたね。
――スタートで遅れてしまった。
宮之原 (ボートに)めっちゃ水が入っちゃったんですよ。それで起きてこなくなっちゃって。早く起こしたんですけど、遅れてしまった。
――それはツイてなかった。
宮之原 いや、あのときはピット離れでもちょっと出たんですけど、コースを獲りに行けなかったんです。勝負に対してシビアにならなきゃいけないな、って思いました。だからいい経験になったと思ってます。
――なるほど。この2022年について、何か目標はありますか?
宮之原 年頭は、「グランプリシリーズに出たいな」って思ってたんですけど、今年はリズムが最悪です(笑)。とりあえずレースをしていかないと変わらないと思うので、今まで通りがむしゃらにレースしたいですね。
――やはりSGにそろそろ行きたいですよね。
宮之原 権利をまず獲りたいですよね。やはり今後の目標は、SGに出て、そしてSGに定着できるようになりたいです。SG優勝とまでデカいことはまだ言えないですけど(笑)、まずは記念で安定した成績をコンスタントに獲れるようになったらSGでも戦えると思うんで、まずは地力をつけたいですね。
――そのための課題はありますか?
宮之原 やっぱりターンですね。
――えっ、上手いほうだと思うけど。
宮之原 いや、記念に行ったら「えっ、なんで?」ってくらい上手い人がいっぱいいるので、自分もターンのレベルを上げていけたらいいなって思うんです。ターンがもっと上手くなればエンジンが出てなくても着を獲れると思うんで、そこを磨いていきたいです。
――話を聞いていると、謙虚というか、一歩一歩、上を目指していこうという感じに思えるんですが、そういうタイプなんですか?
宮之原 わりとそうだと思います。あまりデカいことは言わないほうだと思います。
――それこそ「目標は賞金王!」って言ってもいいと思うんですけどね(笑)。
宮之原 それを目標にできる成績を取れるようになったら見えてくると思うんですけど、まだ実力とかけ離れていて、そういうことは今は言えないです。もちろん、それが夢ではありますよ。SG常連になるのはもちろんですけど、毎年グランプリに行けるレーサーになれたらいいなとは思ってます。
水神祭記録
初出走
|
2016年5月3日~ | ボートレース平和島 | 一般 |
---|---|---|---|
初1着
|
2016年7月6日~ | ボートレース戸田 | 一般 |
初優出
|
2017年11月15日~ | ボートレース平和島 | 一般 |
初優勝
|
2018年6月7日~ | ボートレース江戸川 | 一般 |
Q & A
- Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
- Aとてもありがたいです。
- Q自分のレーススタイルを教えてください。
- Aスピードを持ったレースです。
- Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
- Aボートが好きだという気持ち。
- Qリラックス方法をおしえてください。
- A音楽を聴く事です。
- Q2022年の目標を教えて下さい。
- ASGの権利を取る。
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