TOP ROOKIE 2022トップルーキー 2022
kanta sasaki 4980佐々木 完太
ファンの期待を背負ってしっかりと
レースをしていきたいと思います。
Information 2022年1月現在
- 生年月日:1996/5/29
- 支部:山口
- 出身地:山口県
- 身長:163cm
- 体重:51kg
- 登録期:120
- 級別:A1
- 血液型:O
トップルーキー2022 4980 佐々木完太
2017年5月2日徳山ボートデビュールーキー世代のクリーンナップ!
古豪・山口県の早鞆(はやとも)高校野球部出身レーサーは2017年5月のデビュー。
養成所時代の勝率は7.77。「将来、必ず活躍する」と高く評価されてきた。
山口支部からは2012年の末永祐輝、2015年&2016年の森野正弘以来、6年ぶり3人目のトップルーキーである。
道中の接戦で抜き上がるのがスタイルで、ゴールまで決してあきらめない姿勢は一貫している。
「どんなに離れていても前を走るレーサーを追う。着順キープは考えていない」と明言している。
さらに、2021年2月の徳山中国ダービーから今年2月の下関中国ダービーまで、G1競走3大会をすべて6コースで通してきた。難しいコースで「スピードと技術を体得する」のと「目立って名前を覚えてもらう」ためだったという。
ルーキー世代の「クリーンナップ」として期待を集める新星である。
養成所時代の勝率は7.77。「将来、必ず活躍する」と高く評価されてきた。
山口支部からは2012年の末永祐輝、2015年&2016年の森野正弘以来、6年ぶり3人目のトップルーキーである。
道中の接戦で抜き上がるのがスタイルで、ゴールまで決してあきらめない姿勢は一貫している。
「どんなに離れていても前を走るレーサーを追う。着順キープは考えていない」と明言している。
さらに、2021年2月の徳山中国ダービーから今年2月の下関中国ダービーまで、G1競走3大会をすべて6コースで通してきた。難しいコースで「スピードと技術を体得する」のと「目立って名前を覚えてもらう」ためだったという。
ルーキー世代の「クリーンナップ」として期待を集める新星である。
佐々木 完太 選手
×
BOATBoy編集長
黒須田守
ロングインタビュー
前編
将来活躍するために
貫いたこと
――ボートレーサーを志したきっかけは何ですか?
佐々木 高校で野球をやってたんですけど、そのときに監督に「お前は大学では野球で通用しない」と言われたんです。でも僕は、どうしてもスポーツをやりたかったので、僕の体型に合うスポーツがあればいいな、と探していたんですね。そうしたら、ボートレース下関でペアボートの試乗会があるのを知ったんです。それでボートレーサーになりたいと思いました。
――高校野球でのポジションは?
佐々木 センターです。
――だとしたら、体重はけっこうあったんじゃないですか?
佐々木 60kg近くありました。
――だったら減量は大変だったでしょう。
佐々木 最初は大変でしたね。あと、やまと学校(現ボートレーサー養成所)に行ってからも大変でした。でも、強い決意で減量しましたね。
――養成所には何回目で受かったんですか?
佐々木 3回目です。受かるまでは佐川急便でアルバイトをしていましたが、けっこう焦ってましたね。
――宅配の仕事は相当キツいと聞きますけど。
佐々木 キツかったですけど、トレーニングも兼ねていたので頑張れました。
――ちなみに、ボートレースの存在は知ってましたか?
佐々木 存在もあまり知らなかったですね。山口市の出身なんですけど、ボートレースというものについてはぜんぜん入ってこなかったんですよ。それでもペアボートに乗ったとき、これだ、って思ったんですよね。
――野球とはまるで違う競技で、不安はなかった?
佐々木 それはあまりなかったですね。ペアボートも怖くなかったですし。公営競技だということも初めて知ったんです。こういうのがあったんだな、って。その世界に入ることに抵抗もなかったです。むしろ楽しそうだなって思いました。
――3回目の試験で合格して、養成所に入りました。
佐々木 束縛がすごかったので、けっこうメンタル的にキツかったですね。
――団体生活の経験はあったんですか?
佐々木 高校野球は寮生でやってたので、全寮制の経験はあったんですよ。だからそういう面では、メンタル的には大丈夫でした。それよりも自分の時間がないってのがキツかったですね。
――訓練自体もキツかったでしょ?
佐々木 いや、訓練については、高校野球での練習のほうが肉体的だったり、精神的だったりについてはキツかったんですよ。僕は早鞆高校という高校だったんですけど、山口県では強豪校で、監督が元プロ野球選手だったんですね。それで「山口県でいちばんキツい練習をしよう」というのがコンセプトだったんですよ。それは本当にキツかった。だから、その頃に比べれば、養成所の訓練のほうがだいぶ楽でした。少なくとも追い込まれるような厳しさは感じなかったですね。
――その面に関しては、高校野球の経験が活きたんですね。ボートの操縦については?
佐々木 もちろん初めてでしたけど、すごく楽しかったです。ゴーカートのような感覚でやれたんですよね。ただ、最初はカポックの色でグループ分けされて、1(白)がうまくて6(緑)はヘタクソという感じだったんですけど、僕は最初は4(青)だったんですよ。自分ではうまいと思っていたので、中堅下位みたいな感じで分けられたのは悔しかったですね。
――それで頑張った。
佐々木 はい。一番になろうとずっと思っていたので。
――最終的にはいい成績でしたよ!
佐々木 リーグ戦の勝率はトップでした。1年間、ボートのことしか考えてなくて、休み時間も(室内にある)練習用のボートでずっと乗艇姿勢とかを練習してました。
――それはストイックですね。
佐々木 僕自体、休務というのがなかったんですよ。教官にちょっと厳しくされていて、訓練の半分以上、みんなが休務の時もずっと勉強させられていたんです。
――成績いいのに?
佐々木 学科が悪かったんです(笑)。だから、一日の大半はボートのことばかりで、ほんと、ボートのことばかり考えてましたね。
――リーグ戦の勝率1位で卒業となって、プロとしてやっていける自信は持てましたか?
佐々木 学校でいい成績を獲れていたので、最初はすごく自信はあったんです。これでプロの世界でもやれる、って思ってました。ところが、いざデビュー戦を走ってみたらオール6着。120期でいちばん成績の悪い新人だったんです。
――トップで卒業したのに、デビュー節は同期でいちばん悪かった。
佐々木 ちょっと調子に乗ってた部分がありましたね。悔しくて、すごく落ち込みました。本当にやっていけるのか、とも考えてましたね。
――天国から地獄だ。
佐々木 そうですね。心が折れかけたんですけど、まあ頑張ろうとは思いました。
――そのときに声をかけてくれた先輩はいましたか。
佐々木 師匠が吉村正明さんなんですけど、特に優しい言葉はなかったですね。最初はそういう成績になるのはわかってたって感じで、これからの自分のレーススタイルとか、何事もなく普通に話をしてくれましたね。
――悔しい思いをしたときに、けっこう奮い立つ性格ですか?
佐々木 そうですね。一回悔しい思いをしたら、ずっと頑張るほうだと思います。負けず嫌いですね。
――ならば、デビュー戦オール6着の悔しさも自分で突破したんですね。では、徐々に「自分はやれるんじゃないの?」っていう手応えをつかんだのは?
佐々木 それから何節かあとに、エース機を引いたことがあるんです。そのときは予選はほぼオール2等で(転覆があり予選突破はならず)、いいモーターを引ければいけるかもしれないという自信になったんですよ。それからですね。気持ちを高ぶらせるものになりました。
――初勝利はデビューから5カ月後。
佐々木 2着は多かったんですけどずっと勝ててなくて、それが勝てたことで心に余裕ができましたね。初優勝したときもそうだったんですけど、重いものがとれた感じで、リラックスして走れるようになりました。やはり勝てるまでは心につかえたものがとれなかったんですよ。それがとれたことで、自信がすごくついた。そこから成績を上げていくことができたんですよね。
――その後も一足飛びにA1級になれたわけではないですが、その間に落ち込んだことはありましたか?
佐々木 こんなもんだと思っていたわけじゃないですけど、6コース1本でやってた時期が長かったので、「将来活躍できたらいいな」って感じだったんです。
――今は新人レーサーも割と早く内寄りのコースに入るようになりますが、調べてみるとたしかに外から行っていた時期が長いですよね。
佐々木 そういうスタイルでやってきたので、将来活躍しようというか、「今じゃない」というか、そういう感じでしたね。そのときの成績には関係なく。
――では、最初にA1級になったときには、「到達した!」という感じでしたか?
佐々木 いや、デビューから3年でA1になるとも言ってきたので、もちろん嬉しかったですけど、正直「ちょっと遅いな」と思ってましたね。もっと頑張らなきゃいけないなって。
後編へ続く(2022/12/15頃更新予定)
佐々木 高校で野球をやってたんですけど、そのときに監督に「お前は大学では野球で通用しない」と言われたんです。でも僕は、どうしてもスポーツをやりたかったので、僕の体型に合うスポーツがあればいいな、と探していたんですね。そうしたら、ボートレース下関でペアボートの試乗会があるのを知ったんです。それでボートレーサーになりたいと思いました。
――高校野球でのポジションは?
佐々木 センターです。
――だとしたら、体重はけっこうあったんじゃないですか?
佐々木 60kg近くありました。
――だったら減量は大変だったでしょう。
佐々木 最初は大変でしたね。あと、やまと学校(現ボートレーサー養成所)に行ってからも大変でした。でも、強い決意で減量しましたね。
――養成所には何回目で受かったんですか?
佐々木 3回目です。受かるまでは佐川急便でアルバイトをしていましたが、けっこう焦ってましたね。
――宅配の仕事は相当キツいと聞きますけど。
佐々木 キツかったですけど、トレーニングも兼ねていたので頑張れました。
――ちなみに、ボートレースの存在は知ってましたか?
佐々木 存在もあまり知らなかったですね。山口市の出身なんですけど、ボートレースというものについてはぜんぜん入ってこなかったんですよ。それでもペアボートに乗ったとき、これだ、って思ったんですよね。
――野球とはまるで違う競技で、不安はなかった?
佐々木 それはあまりなかったですね。ペアボートも怖くなかったですし。公営競技だということも初めて知ったんです。こういうのがあったんだな、って。その世界に入ることに抵抗もなかったです。むしろ楽しそうだなって思いました。
――3回目の試験で合格して、養成所に入りました。
佐々木 束縛がすごかったので、けっこうメンタル的にキツかったですね。
――団体生活の経験はあったんですか?
佐々木 高校野球は寮生でやってたので、全寮制の経験はあったんですよ。だからそういう面では、メンタル的には大丈夫でした。それよりも自分の時間がないってのがキツかったですね。
――訓練自体もキツかったでしょ?
佐々木 いや、訓練については、高校野球での練習のほうが肉体的だったり、精神的だったりについてはキツかったんですよ。僕は早鞆高校という高校だったんですけど、山口県では強豪校で、監督が元プロ野球選手だったんですね。それで「山口県でいちばんキツい練習をしよう」というのがコンセプトだったんですよ。それは本当にキツかった。だから、その頃に比べれば、養成所の訓練のほうがだいぶ楽でした。少なくとも追い込まれるような厳しさは感じなかったですね。
――その面に関しては、高校野球の経験が活きたんですね。ボートの操縦については?
佐々木 もちろん初めてでしたけど、すごく楽しかったです。ゴーカートのような感覚でやれたんですよね。ただ、最初はカポックの色でグループ分けされて、1(白)がうまくて6(緑)はヘタクソという感じだったんですけど、僕は最初は4(青)だったんですよ。自分ではうまいと思っていたので、中堅下位みたいな感じで分けられたのは悔しかったですね。
――それで頑張った。
佐々木 はい。一番になろうとずっと思っていたので。
――最終的にはいい成績でしたよ!
佐々木 リーグ戦の勝率はトップでした。1年間、ボートのことしか考えてなくて、休み時間も(室内にある)練習用のボートでずっと乗艇姿勢とかを練習してました。
――それはストイックですね。
佐々木 僕自体、休務というのがなかったんですよ。教官にちょっと厳しくされていて、訓練の半分以上、みんなが休務の時もずっと勉強させられていたんです。
――成績いいのに?
佐々木 学科が悪かったんです(笑)。だから、一日の大半はボートのことばかりで、ほんと、ボートのことばかり考えてましたね。
――リーグ戦の勝率1位で卒業となって、プロとしてやっていける自信は持てましたか?
佐々木 学校でいい成績を獲れていたので、最初はすごく自信はあったんです。これでプロの世界でもやれる、って思ってました。ところが、いざデビュー戦を走ってみたらオール6着。120期でいちばん成績の悪い新人だったんです。
――トップで卒業したのに、デビュー節は同期でいちばん悪かった。
佐々木 ちょっと調子に乗ってた部分がありましたね。悔しくて、すごく落ち込みました。本当にやっていけるのか、とも考えてましたね。
――天国から地獄だ。
佐々木 そうですね。心が折れかけたんですけど、まあ頑張ろうとは思いました。
――そのときに声をかけてくれた先輩はいましたか。
佐々木 師匠が吉村正明さんなんですけど、特に優しい言葉はなかったですね。最初はそういう成績になるのはわかってたって感じで、これからの自分のレーススタイルとか、何事もなく普通に話をしてくれましたね。
――悔しい思いをしたときに、けっこう奮い立つ性格ですか?
佐々木 そうですね。一回悔しい思いをしたら、ずっと頑張るほうだと思います。負けず嫌いですね。
――ならば、デビュー戦オール6着の悔しさも自分で突破したんですね。では、徐々に「自分はやれるんじゃないの?」っていう手応えをつかんだのは?
佐々木 それから何節かあとに、エース機を引いたことがあるんです。そのときは予選はほぼオール2等で(転覆があり予選突破はならず)、いいモーターを引ければいけるかもしれないという自信になったんですよ。それからですね。気持ちを高ぶらせるものになりました。
――初勝利はデビューから5カ月後。
佐々木 2着は多かったんですけどずっと勝ててなくて、それが勝てたことで心に余裕ができましたね。初優勝したときもそうだったんですけど、重いものがとれた感じで、リラックスして走れるようになりました。やはり勝てるまでは心につかえたものがとれなかったんですよ。それがとれたことで、自信がすごくついた。そこから成績を上げていくことができたんですよね。
――その後も一足飛びにA1級になれたわけではないですが、その間に落ち込んだことはありましたか?
佐々木 こんなもんだと思っていたわけじゃないですけど、6コース1本でやってた時期が長かったので、「将来活躍できたらいいな」って感じだったんです。
――今は新人レーサーも割と早く内寄りのコースに入るようになりますが、調べてみるとたしかに外から行っていた時期が長いですよね。
佐々木 そういうスタイルでやってきたので、将来活躍しようというか、「今じゃない」というか、そういう感じでしたね。そのときの成績には関係なく。
――では、最初にA1級になったときには、「到達した!」という感じでしたか?
佐々木 いや、デビューから3年でA1になるとも言ってきたので、もちろん嬉しかったですけど、正直「ちょっと遅いな」と思ってましたね。もっと頑張らなきゃいけないなって。
後編へ続く(2022/12/15頃更新予定)
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ロングインタビュー
後編
GⅡ制覇で手にした
クラシック出場権
――A1級になったことでトップルーキーに選ばれました。これについてはどう受け止めてますか。
佐々木 やっぱり選んでもらって嬉しいですけど、活躍できている若手レーサーは、みんななっていますよね。だから、選ばれて一安心という感じではありましたね。絶対にならなくてはいけないというふうにも思っています。
――同期の前田篤哉選手の活躍はどう見てましたか。佐々木さんより先に頭角をあらわして、結果的に最優秀新人も受賞しました。
佐々木 やっぱり悔しかったんですけど、ただ、僕は新人王の対象期間は全部シゴロ(4、5、6コース)で戦っていたんです。それで新人王が獲れたらすごいという感覚だったんですよね。それで獲れなかったのは悔しかったけど、でも獲ったのが同期でよかったとは思います。まあ、言い訳なんですけど(笑)、獲りたい思いはありましたけどこだわってはいなかった、という感じではありました。(勝負は)もっと先、ということしか考えていなかったので。
――なるほど。昨年はヤングダービーに初出場しましたね。これが地元の徳山での開催でした。ところが、足枷を抱えての参戦でした。
佐々木 F2でしたね。
――オール6コースでの戦いでした。
佐々木 記念自体、1年間はオール6コースと決めていたんですよ。F2だから外に出たわけじゃないんです。
――えっ、そうだったんですか?
佐々木 みんなはF2だから6コースって思われるでしょうけどね。F2自体は僕のミスでしたけど、そうでなくとも記念は外からやるって決めていたんですよ。それで水神祭をやったら何十年ぶりとも聞いていて、そえは話題にもなるでしょうしね。あとはやっぱり、自分の技量アップを目指していたというのもあります。
――でもヤングダービーは地元開催だし、結果を求めたくはならなかったですか?
佐々木 みなさんにもいろいろ言われたんですけど、僕には地元意識はまだなくて、地元だから、地元GⅠだから頑張るという実感はないんですよ。やっぱり「将来活躍できる」というのが目標だし、それを考えれば6コースから走ったほうが後々活躍できると思った。だからヤングダービーも地元とかは考えずに、そうしたんです。
――結果を出したいと焦る人のほうが圧倒的に多いと思うのに、それはなかなかすごい考え方ですね。誰かの影響だったりします?
佐々木 いや、これはもう、僕が師匠に言ったことなんです。そうしたら、それを聞いた今村豊さんから「それで行け」みたいに言っていただいたんですよ。白井英治さんも認めてくれたし、ほかの先輩の方々も山口の施行者さんも批判はされなかった。話を聞くと、昔のレーサーは若手時代は記念ではみんな外からだったというし、僕もそれを普通にやろうという感覚でしたね。
――ただ、その後ちょっと成績が落ちて、前期まさかのA2級勝負駆けを強いられていました。
佐々木 そうなんです(苦笑)。前々期のF2で休みが長くて、レース勘が鈍ってしまっていて、そのうえ記念では6コースと決めていたわけですから、厳しい期間ではあったんですよね。でも、いちばん勉強になった期間でした。
――いちばん勉強になった!
佐々木 フライングもできないし、事故もできない、さらに6コースから勝率を獲らなきゃいけない。それを考えたことが勉強になりましたね。でもまあ、A2級に残れてよかったですけど(笑)。
――そう、勝負駆けに成功してA級はキープしました。しかもその勝負駆けの節でデビュー初優勝!
佐々木 僕のなかでは、節間6点の勝率を取ったらA級に残れるのかって感じでした。ただ、A級に残れなくてもいいやって感覚もあったんですよ。そうしたら優勝していたんですよね。
――不思議ですよね(笑)。
佐々木 それがよかったのかなって。僕自身、それまで優勝ってしたことがなくて、訓練時代もリーグ戦で優勝したことがないんですよ。
――リーグ戦勝率は1位だったのに!
佐々木 だから、いろいろ考えてしまっていたのは正直ありましたね。
――初優勝は時間の問題とは思ってましたけど、あの勝負駆けの局面で成し遂げたのは見事でした。
佐々木 嬉しかったですね。師匠も一緒の節だったので、すごく心強かったんですよね。水神祭もやりました。師匠は飛び込みませんでしたけど(笑)。
――すごいのはその後ですよ。初優勝を果たしたと思ったら、いきなりGⅡ優勝ですよ!(モーターボート誕生祭)
佐々木 優勝できました(ニッコリ)。
――ひとつ優勝できるとタガが外れたように優勝を重ねる、というのをGⅡでやってしまったんですからね。
佐々木 あの節は、初戦で1着を獲れて、さらに3連勝できたんですよね。そこから予選トップを意識したんですよ。
――それで本当に予選トップ通過!
佐々木 準優がいちばん緊張しました。優勝戦は好きなように走れるって思えたんですけど、準優は少しでもミスしたらダメだと思ったんですよね。
――じゃあ優勝戦はリラックスしてた?
佐々木 前付けもあったりしたので、いろいろ考えたりはしたんですけど、エンジンには自信があったので、「前付けされても大丈夫」と割り切ることができていました。準優に比べたらリラックスしてましたね。
――プレッシャーに強いほうですか?
佐々木 わからないですね。強かったり弱かったり、気分に左右されています(笑)。
――いや、GⅡの優勝戦1号艇に初優勝を果たしたばかりのルーキーが入ったわけですよ。プレッシャーに押しつぶされてもおかしくないと、心配してたんです。
佐々木 準優勝戦はそのピンチでしたね。優勝戦は大丈夫でした。
――GⅡも獲って、今後はもちろん、さらに上を、ですよね。
佐々木 GⅠもSGも獲りたいですね。
――同期の前田篤哉より先に獲ろうとは?(笑)
佐々木 獲りたいです(笑)。新人王は彼に獲られましたのでね。
――で、GⅡを勝ったことで、来年のボートレースクラシックの出場権を手にしました!
佐々木 すごく目標にしていたレースです。SGで、僕がまずいちばん行ける可能性があるのはクラシックだと思っていたんですよ。上のレーサーと走って僕がどこまで通用するのか、それを味わってみたいし、また活躍できなかったとしてもプラスにできるような経験にしたいですね。
――まだ先の話ですけど、もういろいろ考えてるんですね。
佐々木 そうですね。僕は先のことを考えるタイプですから。
――だったら言いますが、12月は絶対にFを切ったらダメですよ! F休みがクラシックにかかっちゃうから。
佐々木 そうですね、みんなから言われました(笑)。気を付けたいと思います。
――その前に、当面はA1復帰を!
佐々木 それは絶対です!
佐々木 やっぱり選んでもらって嬉しいですけど、活躍できている若手レーサーは、みんななっていますよね。だから、選ばれて一安心という感じではありましたね。絶対にならなくてはいけないというふうにも思っています。
――同期の前田篤哉選手の活躍はどう見てましたか。佐々木さんより先に頭角をあらわして、結果的に最優秀新人も受賞しました。
佐々木 やっぱり悔しかったんですけど、ただ、僕は新人王の対象期間は全部シゴロ(4、5、6コース)で戦っていたんです。それで新人王が獲れたらすごいという感覚だったんですよね。それで獲れなかったのは悔しかったけど、でも獲ったのが同期でよかったとは思います。まあ、言い訳なんですけど(笑)、獲りたい思いはありましたけどこだわってはいなかった、という感じではありました。(勝負は)もっと先、ということしか考えていなかったので。
――なるほど。昨年はヤングダービーに初出場しましたね。これが地元の徳山での開催でした。ところが、足枷を抱えての参戦でした。
佐々木 F2でしたね。
――オール6コースでの戦いでした。
佐々木 記念自体、1年間はオール6コースと決めていたんですよ。F2だから外に出たわけじゃないんです。
――えっ、そうだったんですか?
佐々木 みんなはF2だから6コースって思われるでしょうけどね。F2自体は僕のミスでしたけど、そうでなくとも記念は外からやるって決めていたんですよ。それで水神祭をやったら何十年ぶりとも聞いていて、そえは話題にもなるでしょうしね。あとはやっぱり、自分の技量アップを目指していたというのもあります。
――でもヤングダービーは地元開催だし、結果を求めたくはならなかったですか?
佐々木 みなさんにもいろいろ言われたんですけど、僕には地元意識はまだなくて、地元だから、地元GⅠだから頑張るという実感はないんですよ。やっぱり「将来活躍できる」というのが目標だし、それを考えれば6コースから走ったほうが後々活躍できると思った。だからヤングダービーも地元とかは考えずに、そうしたんです。
――結果を出したいと焦る人のほうが圧倒的に多いと思うのに、それはなかなかすごい考え方ですね。誰かの影響だったりします?
佐々木 いや、これはもう、僕が師匠に言ったことなんです。そうしたら、それを聞いた今村豊さんから「それで行け」みたいに言っていただいたんですよ。白井英治さんも認めてくれたし、ほかの先輩の方々も山口の施行者さんも批判はされなかった。話を聞くと、昔のレーサーは若手時代は記念ではみんな外からだったというし、僕もそれを普通にやろうという感覚でしたね。
――ただ、その後ちょっと成績が落ちて、前期まさかのA2級勝負駆けを強いられていました。
佐々木 そうなんです(苦笑)。前々期のF2で休みが長くて、レース勘が鈍ってしまっていて、そのうえ記念では6コースと決めていたわけですから、厳しい期間ではあったんですよね。でも、いちばん勉強になった期間でした。
――いちばん勉強になった!
佐々木 フライングもできないし、事故もできない、さらに6コースから勝率を獲らなきゃいけない。それを考えたことが勉強になりましたね。でもまあ、A2級に残れてよかったですけど(笑)。
――そう、勝負駆けに成功してA級はキープしました。しかもその勝負駆けの節でデビュー初優勝!
佐々木 僕のなかでは、節間6点の勝率を取ったらA級に残れるのかって感じでした。ただ、A級に残れなくてもいいやって感覚もあったんですよ。そうしたら優勝していたんですよね。
――不思議ですよね(笑)。
佐々木 それがよかったのかなって。僕自身、それまで優勝ってしたことがなくて、訓練時代もリーグ戦で優勝したことがないんですよ。
――リーグ戦勝率は1位だったのに!
佐々木 だから、いろいろ考えてしまっていたのは正直ありましたね。
――初優勝は時間の問題とは思ってましたけど、あの勝負駆けの局面で成し遂げたのは見事でした。
佐々木 嬉しかったですね。師匠も一緒の節だったので、すごく心強かったんですよね。水神祭もやりました。師匠は飛び込みませんでしたけど(笑)。
――すごいのはその後ですよ。初優勝を果たしたと思ったら、いきなりGⅡ優勝ですよ!(モーターボート誕生祭)
佐々木 優勝できました(ニッコリ)。
――ひとつ優勝できるとタガが外れたように優勝を重ねる、というのをGⅡでやってしまったんですからね。
佐々木 あの節は、初戦で1着を獲れて、さらに3連勝できたんですよね。そこから予選トップを意識したんですよ。
――それで本当に予選トップ通過!
佐々木 準優がいちばん緊張しました。優勝戦は好きなように走れるって思えたんですけど、準優は少しでもミスしたらダメだと思ったんですよね。
――じゃあ優勝戦はリラックスしてた?
佐々木 前付けもあったりしたので、いろいろ考えたりはしたんですけど、エンジンには自信があったので、「前付けされても大丈夫」と割り切ることができていました。準優に比べたらリラックスしてましたね。
――プレッシャーに強いほうですか?
佐々木 わからないですね。強かったり弱かったり、気分に左右されています(笑)。
――いや、GⅡの優勝戦1号艇に初優勝を果たしたばかりのルーキーが入ったわけですよ。プレッシャーに押しつぶされてもおかしくないと、心配してたんです。
佐々木 準優勝戦はそのピンチでしたね。優勝戦は大丈夫でした。
――GⅡも獲って、今後はもちろん、さらに上を、ですよね。
佐々木 GⅠもSGも獲りたいですね。
――同期の前田篤哉より先に獲ろうとは?(笑)
佐々木 獲りたいです(笑)。新人王は彼に獲られましたのでね。
――で、GⅡを勝ったことで、来年のボートレースクラシックの出場権を手にしました!
佐々木 すごく目標にしていたレースです。SGで、僕がまずいちばん行ける可能性があるのはクラシックだと思っていたんですよ。上のレーサーと走って僕がどこまで通用するのか、それを味わってみたいし、また活躍できなかったとしてもプラスにできるような経験にしたいですね。
――まだ先の話ですけど、もういろいろ考えてるんですね。
佐々木 そうですね。僕は先のことを考えるタイプですから。
――だったら言いますが、12月は絶対にFを切ったらダメですよ! F休みがクラシックにかかっちゃうから。
佐々木 そうですね、みんなから言われました(笑)。気を付けたいと思います。
――その前に、当面はA1復帰を!
佐々木 それは絶対です!
水神祭記録
初出走
|
2017年5月2日~ | ボートレース徳山 | 一般 |
---|---|---|---|
初1着
|
2017年10月4日~ | ボートレース芦屋 | 一般 |
初優出
|
2020年4月26日~ | ボートレース下関 | 一般 |
Q & A
- Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
- A素直に嬉しいです。 多くの方に認知されますし、何より記念レースに走れる機会が増えるので。
- Q自分のレーススタイルを教えてください。
- A一撃で勝つっていう迫力はありませんが、まくり差しだったり狭い所に入って一着を狙うのが僕のレーススタイルです。
- Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
- Aまだ負けてばっかりですが、同世代で一番稼ぐのをずっと目標にしています。
- Qリラックス方法をおしえてください。
- A休みの日はゲームだったりゆったりと過ごしてリラックスしています。
- Q2022年の目標を教えて下さい。
- A名前を売れるようにしっかりと優出と優勝を重ねることです。
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