TOP ROOKIE 2022トップルーキー 2022
atsuya maeda 4983前田 篤哉
無事故完走
Information 2022年1月現在
- 生年月日:1996/11/29
- 支部:愛知
- 出身地:愛知県
- 身長:174cm
- 体重:52kg
- 登録期:120
- 級別:A1
- 血液型:O
トップルーキー2022 4983 前田篤哉
2017年5月20日常滑ボートデビュー苦境逆境は成長の糧であると知る!
憧れは実現した。
ボートレーサーになった学友(吉田裕平)がいて、父が薦め、母が後押ししてくれた。
しかし、養成所では実戦形式で訓練するリーグ戦第1戦の初戦で落水。足を肉離れしてしまう。
ギプスをはめて訓練の補助をするしかなくなってしまい、第2戦も欠場したのだ。
その後フライング禍も重なり、乗艇訓練ができない苦境に苛まれる。挫折してもおかしくはなかった。
しかし、ここで不屈の闘志をみせる。
令和2年最優秀新人選手に輝いた愛知の精鋭は、「すべての人がお手本であり、すべてのことがらから学びがある」という考えの持ち主。水上訓練ができない期間中、「観察」に徹したのだ。
逆境にふて腐れる者がいれば、そこから何かをつかみ取ろうとする者がいる。
人生の岐路とは失敗・成功というカタチにあるのではない。その後の行動こそが岐路なのだ。
頼もしい限りである。
ボートレーサーになった学友(吉田裕平)がいて、父が薦め、母が後押ししてくれた。
しかし、養成所では実戦形式で訓練するリーグ戦第1戦の初戦で落水。足を肉離れしてしまう。
ギプスをはめて訓練の補助をするしかなくなってしまい、第2戦も欠場したのだ。
その後フライング禍も重なり、乗艇訓練ができない苦境に苛まれる。挫折してもおかしくはなかった。
しかし、ここで不屈の闘志をみせる。
令和2年最優秀新人選手に輝いた愛知の精鋭は、「すべての人がお手本であり、すべてのことがらから学びがある」という考えの持ち主。水上訓練ができない期間中、「観察」に徹したのだ。
逆境にふて腐れる者がいれば、そこから何かをつかみ取ろうとする者がいる。
人生の岐路とは失敗・成功というカタチにあるのではない。その後の行動こそが岐路なのだ。
頼もしい限りである。
前田 篤哉 選手
×
BOATBoy編集長
黒須田守
ロングインタビュー
前編
他人は関係ない。
我が道を行くタイプ。
――まずはボートレーサーを目指したきっかけを教えてください。
前田 生まれも育ちも常滑で、親も「やってみたらどうだ」と言ってたんですよ。(弟の)翔と滉もやってみたいと言っていたんですけど、僕が先に(やまと学校=現ボートレース養成所)を受けたら、受かっちゃった、みたいな感じですね。
――親御さんがボートファンだった?
前田 いや、そういうわけじゃなかったですね。僕はもともと体格が痩せてたんで、ボートレーサーに向いてるんじゃないか、ってことでしょうね。それで、大学に行くくらいならやってみるかと。たぶん、親が「ボートレースがある」って言わなかったら、知らなかったと思います。ボートレースを見に行ったのも、レーサーを目指すようになってからですから。
――試験は何回目で受かったんですか?
前田 3回目です。
――板橋侑我選手にインタビューしたら、レーサーになる前から仲が良かったように言ってました。
前田 そうですね。試験を受けるときに仲良くなったんですよ。だから、今は向こうが先輩なんですけど、同期みたいな感じです。
――教官に怒られまくって、心が折れそうになったとき「いちど辞めて、また受け直して、篤哉と同期になれば」と思ったとか。
前田 それ、ずっと言ってますね、彼は(笑)。
――先に板橋選手が試験に受かって、刺激になりましたか?
前田 高校3年生のときに118期を受けたけど落ちて、浪人というか、フリーターみたいになっちゃってたんで、「ボートレーサーにならないとまずいな」という気にはなりましたね。だから受かったときは嬉しかったですね。
――養成所の厳しさは板橋さんから聞いてました?
前田 まあ、侑我が耐えられたんで大丈夫かなと(笑)。まあ、行ってみるまではわからなかったですけど、なんとなくイケるだろうと思ってました。
――実際に厳しかった?
前田 最初だけでしたね。ボートに乗れるまで、2カ月くらいはしんどかった気がします。――教官から怒られたほうですか?
前田 最後のほうによく怒られました。サボり屋だったんで、それがバレて(笑)。卒業間際くらいはかなり怒られました(笑)。
――バレなかったのは、要領がよかったんですかね。
前田 よく言えばそうです(笑)。悪く言えば、本当にサボリ癖がある(笑)。今もいい加減なところがありますから(笑)。
――訓練時代、成績は決して悪くなかったですけど、上位というわけでもなかった。
前田 リーグ戦の勝率は6点なかったと思います(5.91)。優勝戦にも乗ってないし。ただ、リーグ戦は事故があったり、ケガがあったりで回数を走れなかったんですよ。出走回数が極端に少なかった。だから点数については仕方がないよなって感じでしたし、焦りもなかったですね。
――実際には負けてないぞ、という思いはありましたか?
前田 今でも思うんですけど、同期の宗行(治哉)とか(佐々木)完太とかを見ていて、ターンがうまいなあと思ってました。ターンだけでは勝てると思ったことがないんですよ。なんて言うんだろ……この仕事をしているんで負けず嫌いではあると思うんですけど、「誰々に負けたくない」とか、そういうのがないんですよ。負けん気が強いわけではないというか。馬野(耀)はスタートが上手で、しょっちゅう「どうスタートしてる?」って聞いていたような気がしますし。
――我が道を行くタイプ?
前田 そうですね。だから、完太がこの間GⅡ(モーターボート誕生祭)を獲りましたけど、ぜんぜん悔しくなかったんです。「すげえ、完太獲れ! 逃げろ!」って感じで、同期は同期、自分は自分、なんです。
――なるほど。でも、デビューしてから、同期のなかでいちばん先頭を走っていたのは前田さんですよ。
前田 たまたまなんですけど……。
――訓練時代に「デビューしてからが勝負だ」という思いがあったのかなって。
前田 それはほんと、そうでしたね。リーグ戦の初っ端に肉離れしちゃって、「ここでの成績よりは、デビューしてから頑張ろう」と思っていたような気がします。
――デビュー戦についても聞かせてください。
前田 僕、デビュー戦の日に2走だったんですよ。
――それは珍しい!
前田 そうですよね。先輩にも「デビュー戦で2走か」って言われたんですけど、1走目は緊張しました。でも2走目は、「こんな感じか」って感じで行けましたね。
――前検にレース場に入って、先輩ばっかりという環境にも緊張しませんでした?
前田 やっぱりありましたね。実際に仕事に行ってみないとわからない要領があるじゃないですか。コレしてアレして、ってのは聞いてはいましたけど、実際にうまくやれるかわからないですからね。ただ、メンバーには恵まれていたかな。曲者と言われるような先輩はいなかったので(笑)。
――レースでは、最初はゴンロク並べましたね。
前田 卒業からデビュー戦まで2カ月あって、その間に練習に行ってたんですけど、正直6コースから着をとれるイメージはわかなかったんです。でもデビュー節で4等が1本あったのかな、それで「意外と着が取れるときは取れるんだな」と思ったような気がします。だって、練習の時は6等を並べてもおかしくないと思ってたんですよ。やまとで優勝戦にも乗れないような成績で出てきて、ずっとボートに乗ってきた先輩を相手に4等で走れた。だから、思ったよりも自信が持てた気がします。
――実際、その2カ月後に水神祭。
前田 桐生だったんですけど、今思えば、まくりじゃなくて差しで勝つあたりが自分らしいなって(笑)。やっぱり必死だったのでレース自体はあまり覚えてないんですけどね。嬉しかったですよ、やっぱり。そんなに早く勝てるとは思わなかったですし、同期でいちばん最初だったし。
――それは誇らしいことですよね。
前田 そうですね。ただ、2カ月経ってもまだ1着を獲ってる同期がいないってのは遅かったんじゃないかな。俺が獲れてよかったなとは思いましたけどね。完太や宗行はデビューしてから苦労してたんで、それよりも先に獲れたのは嬉しかったですね。
――俺はうまいんじゃないか、とは思わなかった?
前田 今でも自分がうまいとはまったく思ってないんです。だって、全速ターンできないんですよ。
――ええっ、そうなの!?
前田 だからターンが上手とかはぜんぜん思ってないんです。なんで点数が獲れてるのかよくわからない(笑)。
――だって、水神祭後も順調だったじゃないですか。
前田 最初の頃は順調だったと思います。でも「なんでなんだろ?」って。だって、プロペラちゃんと叩けるようになったのも、ここ1年くらいなんですね。基本、もらった(抽選で引いたモーターに着いている)ペラをベースにちょっと調整するだけで、ほぼ前に乗った人の形で走ってたんですよ。師匠もいないので、教わることもなくて。それでポンポンとB1級に上がって、A2級にも上がったんですよね。ただ、それでA2で足踏みしちゃったんです。なぜA1級のの壁を超えられないんだろうって考えて、それでゲージの種類も増やして、ペラを叩こうと決めた。そうしたらすぐにA1に上がれた。で、記念に行ったらボコボコにされて、乗り心地を求めてるだけのペラじゃどうしようもないって考えて、それからやっとペラを叩けるようになった。だから、なんで最初獲れてたんだろうって思いますね(笑)。
――ようするに、前田さんはレースがうまいんですよ(笑)。
前田 アハハハ!
後編へ続く(2022/11/30頃更新予定)
前田 生まれも育ちも常滑で、親も「やってみたらどうだ」と言ってたんですよ。(弟の)翔と滉もやってみたいと言っていたんですけど、僕が先に(やまと学校=現ボートレース養成所)を受けたら、受かっちゃった、みたいな感じですね。
――親御さんがボートファンだった?
前田 いや、そういうわけじゃなかったですね。僕はもともと体格が痩せてたんで、ボートレーサーに向いてるんじゃないか、ってことでしょうね。それで、大学に行くくらいならやってみるかと。たぶん、親が「ボートレースがある」って言わなかったら、知らなかったと思います。ボートレースを見に行ったのも、レーサーを目指すようになってからですから。
――試験は何回目で受かったんですか?
前田 3回目です。
――板橋侑我選手にインタビューしたら、レーサーになる前から仲が良かったように言ってました。
前田 そうですね。試験を受けるときに仲良くなったんですよ。だから、今は向こうが先輩なんですけど、同期みたいな感じです。
――教官に怒られまくって、心が折れそうになったとき「いちど辞めて、また受け直して、篤哉と同期になれば」と思ったとか。
前田 それ、ずっと言ってますね、彼は(笑)。
――先に板橋選手が試験に受かって、刺激になりましたか?
前田 高校3年生のときに118期を受けたけど落ちて、浪人というか、フリーターみたいになっちゃってたんで、「ボートレーサーにならないとまずいな」という気にはなりましたね。だから受かったときは嬉しかったですね。
――養成所の厳しさは板橋さんから聞いてました?
前田 まあ、侑我が耐えられたんで大丈夫かなと(笑)。まあ、行ってみるまではわからなかったですけど、なんとなくイケるだろうと思ってました。
――実際に厳しかった?
前田 最初だけでしたね。ボートに乗れるまで、2カ月くらいはしんどかった気がします。――教官から怒られたほうですか?
前田 最後のほうによく怒られました。サボり屋だったんで、それがバレて(笑)。卒業間際くらいはかなり怒られました(笑)。
――バレなかったのは、要領がよかったんですかね。
前田 よく言えばそうです(笑)。悪く言えば、本当にサボリ癖がある(笑)。今もいい加減なところがありますから(笑)。
――訓練時代、成績は決して悪くなかったですけど、上位というわけでもなかった。
前田 リーグ戦の勝率は6点なかったと思います(5.91)。優勝戦にも乗ってないし。ただ、リーグ戦は事故があったり、ケガがあったりで回数を走れなかったんですよ。出走回数が極端に少なかった。だから点数については仕方がないよなって感じでしたし、焦りもなかったですね。
――実際には負けてないぞ、という思いはありましたか?
前田 今でも思うんですけど、同期の宗行(治哉)とか(佐々木)完太とかを見ていて、ターンがうまいなあと思ってました。ターンだけでは勝てると思ったことがないんですよ。なんて言うんだろ……この仕事をしているんで負けず嫌いではあると思うんですけど、「誰々に負けたくない」とか、そういうのがないんですよ。負けん気が強いわけではないというか。馬野(耀)はスタートが上手で、しょっちゅう「どうスタートしてる?」って聞いていたような気がしますし。
――我が道を行くタイプ?
前田 そうですね。だから、完太がこの間GⅡ(モーターボート誕生祭)を獲りましたけど、ぜんぜん悔しくなかったんです。「すげえ、完太獲れ! 逃げろ!」って感じで、同期は同期、自分は自分、なんです。
――なるほど。でも、デビューしてから、同期のなかでいちばん先頭を走っていたのは前田さんですよ。
前田 たまたまなんですけど……。
――訓練時代に「デビューしてからが勝負だ」という思いがあったのかなって。
前田 それはほんと、そうでしたね。リーグ戦の初っ端に肉離れしちゃって、「ここでの成績よりは、デビューしてから頑張ろう」と思っていたような気がします。
――デビュー戦についても聞かせてください。
前田 僕、デビュー戦の日に2走だったんですよ。
――それは珍しい!
前田 そうですよね。先輩にも「デビュー戦で2走か」って言われたんですけど、1走目は緊張しました。でも2走目は、「こんな感じか」って感じで行けましたね。
――前検にレース場に入って、先輩ばっかりという環境にも緊張しませんでした?
前田 やっぱりありましたね。実際に仕事に行ってみないとわからない要領があるじゃないですか。コレしてアレして、ってのは聞いてはいましたけど、実際にうまくやれるかわからないですからね。ただ、メンバーには恵まれていたかな。曲者と言われるような先輩はいなかったので(笑)。
――レースでは、最初はゴンロク並べましたね。
前田 卒業からデビュー戦まで2カ月あって、その間に練習に行ってたんですけど、正直6コースから着をとれるイメージはわかなかったんです。でもデビュー節で4等が1本あったのかな、それで「意外と着が取れるときは取れるんだな」と思ったような気がします。だって、練習の時は6等を並べてもおかしくないと思ってたんですよ。やまとで優勝戦にも乗れないような成績で出てきて、ずっとボートに乗ってきた先輩を相手に4等で走れた。だから、思ったよりも自信が持てた気がします。
――実際、その2カ月後に水神祭。
前田 桐生だったんですけど、今思えば、まくりじゃなくて差しで勝つあたりが自分らしいなって(笑)。やっぱり必死だったのでレース自体はあまり覚えてないんですけどね。嬉しかったですよ、やっぱり。そんなに早く勝てるとは思わなかったですし、同期でいちばん最初だったし。
――それは誇らしいことですよね。
前田 そうですね。ただ、2カ月経ってもまだ1着を獲ってる同期がいないってのは遅かったんじゃないかな。俺が獲れてよかったなとは思いましたけどね。完太や宗行はデビューしてから苦労してたんで、それよりも先に獲れたのは嬉しかったですね。
――俺はうまいんじゃないか、とは思わなかった?
前田 今でも自分がうまいとはまったく思ってないんです。だって、全速ターンできないんですよ。
――ええっ、そうなの!?
前田 だからターンが上手とかはぜんぜん思ってないんです。なんで点数が獲れてるのかよくわからない(笑)。
――だって、水神祭後も順調だったじゃないですか。
前田 最初の頃は順調だったと思います。でも「なんでなんだろ?」って。だって、プロペラちゃんと叩けるようになったのも、ここ1年くらいなんですね。基本、もらった(抽選で引いたモーターに着いている)ペラをベースにちょっと調整するだけで、ほぼ前に乗った人の形で走ってたんですよ。師匠もいないので、教わることもなくて。それでポンポンとB1級に上がって、A2級にも上がったんですよね。ただ、それでA2で足踏みしちゃったんです。なぜA1級のの壁を超えられないんだろうって考えて、それでゲージの種類も増やして、ペラを叩こうと決めた。そうしたらすぐにA1に上がれた。で、記念に行ったらボコボコにされて、乗り心地を求めてるだけのペラじゃどうしようもないって考えて、それからやっとペラを叩けるようになった。だから、なんで最初獲れてたんだろうって思いますね(笑)。
――ようするに、前田さんはレースがうまいんですよ(笑)。
前田 アハハハ!
後編へ続く(2022/11/30頃更新予定)
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ロングインタビュー
後編
目標はない。
その日のレースを勝ちたい。
――A2級に上がったあと、A1の壁があったという話でしたが。
前田 ポンポンとA2級に上がったときに注目してもらえて、4期くらいA2だったのかな、それで注目度が下がってないか、と思って(笑)。そのへんで自分の気持ちが変わった気がします。最優秀新人を狙える年にもなってきていて、「優勝しなきゃ」「A1にならなきゃ」って意識が変わった気がしますね。面倒くさいけどペラやらなきゃいけないなと(笑)。
――2020年の最優秀新人を受章しました。実を言うと、前の年も優勝1回あれば獲れてたかもという成績でしたね。
前田 チャンスはあったんですよね。丸亀のルーキーシリーズでは予選トップで優出して、そこで優勝してたら可能性があった。その頃、宮之原輝紀選手と競っていたのは記憶にあります。結果、順当に輝紀くんが獲ったんですけど、それは悔しかった記憶がありますね。だから次の年は自分が獲らなきゃいけないと思ってました。そのときはいいプレッシャーで1年走れていた気がします。
――びわこヤングダービーで会ったとき、僕と「新人王を獲る」という約束をしたのを覚えてますか?
前田 覚えてます。そのあとすぐ(デビュー初)優勝したんじゃないかな。
――そう、次々節の桐生ですよ。
前田 ですよね。あれがひとつの決め手になったんで、肩の荷が下りた気がしますね。
――3コースまくり差しでしたね。ヤングダービーの前に、平和島で優勝戦1号艇に乗りながら負けてますが、結局初優勝は3号艇だった。
前田 正直、優勝を意識できる仕上がりじゃなかったんですよ。予選道中も苦労して、1着もそんなに獲れてなくて。準優も3号艇だったと思うんですけど、まくり差しでたまたま優出って感じでした。地元の関(浩哉)さんが1号艇だったし、気楽にレースに行ったら結果、まくり差しが入っちゃったって感じだった。「えっ、俺が優勝なんだ!?」って(笑)。平和島のときのほうが優勝を意識してたのに、桐生は意識してなくて獲れたんですよね。
――嬉しかった?
前田 優勝が欲しくて追い込まれていたのもありますし、走っているときよりも帰ってから嬉しかったなって思いました。
――それもあって最優秀新人受賞です。
前田 嬉しかったですし、ちゃんと獲れてホッとしましたね。新人王は1回だけしか獲れないので、それを獲っておきたいなとは思っていたんです。あまり「誰々には負けたくない」とは思わないタイプですけど、これに関しては他のレーサーに負けたくないなって思っていたかもしれないです。レースは1回負けても次に勝てるかもしれない。でも新人王は獲られちゃったらもう獲れないですから。
――同時に新人王ということにプレッシャーを感じたりはしませんでしたか?
前田 それはなかったかな。自分はプレッシャーを感じるタイプじゃないんですよ。でも注目されてるという思いにはなりました。初めて会う他県の先輩とかも、「おお、最優秀新人獲った子やろ?」って反応してくれたりして、良くも悪くもみられてんだなって意識は生まれましたね。
――過去の新人王は錚々たる面々です。今後のレーサー人生における約束手形みたいなところもあるわけです。その意味で、自分への期待感は?
前田 それはあんまり……今のところ、記念で通用してないですし、何かきっかけがあればとは思ってるんですけど、上のステージで活躍するきっかけがまだ掴めてないんで、自分への期待感はそんなにないですね。
――現実として、記念で納得のいく走りになってないということですかね。
前田 なんか変に気合が入っちゃってるのか、空回りしちゃってるのか、一般戦を走ってるときのほうが上手に走れている気がするんです。ターンで負けてるとかはそんなには思わないけど、気持ちの面でちょっとまだ経験が足りないのかなって。
――「記念で頑張らなきゃ!」という感じ?
前田 記念って、予選が終わってみると「この点数で予選トップなんだ」っていうのがあるでしょ。SGを見ててもそうですよね。一方で、一般戦ってある程度1着を並べないとトップになれないじゃないですか。その意識があるので、記念でも1着を狙いにいこうとして、でも記念ではそれで大ミスするんですよね。だから、ここは1着を獲らなくとも着をまとめておけば、予選が終わってみれば案外いい位置にいたのかな、って思うことがあって。そこはマインドを変えていかないといけないのかな。まあ、ぜんぜん焦ってるわけじゃないんですけどね。
――トップルーキーに選ばれたことについてはどんな思いですか。
前田 ありがたいですね。業界的に注目されて選んでもらってるわけですから。選ばれる対象である間はトップルーキーでいなきゃいけないと思っています。だから今期も頑張らないといけないですね。
――弟さん2人(前田翔、前田洸)のことも聞かせてください。3兄弟でボートレーサーであることの強みはありますか?
前田 うーん、あんまり家に帰ってボートの話をしないんですよね。まあ、弟が次に僕が走るレース場を走っていたら、どのペラで走ったかとかを聞いてみるとかはありますけどね。弟のレースはあまり見ないです。昨日は滉がケガしてたみたいなんですけど、それもあるのであまり見ないんですよ。
――ふたりともしっかり成績を残してきてますが、ライバル的な感じで見てますか?
前田 まったくならないですね。
――即答(笑)。
前田 一緒に頑張っていこうという感じですね。早くA1になってもらって、記念で新兵の仕事をしてくれないと困るので(笑)。
――先に記念で結果を出されたら?
前田 ぜんぜんいいですね。僕は、どちらかというとボートは仕事という意識が強くて、お金をもらうためにボートに乗ってる感覚なんです。だから弟も活躍して稼いでくれたほうが嬉しいですし、競技よりも仕事と考えれば、そういうライバル意識はないですね。
――競技より仕事、ですか。そうなると、目標は何ですか、という質問に対する答えはどうなりますか?
前田 目標はないです。
――ない!
前田 イースタンヤングの時もそれを聞かれたし、年始にもよく聞かれるんですけど、僕は毎回「ない」って答えるんです。タイトルが獲りたいとかはないんですよ。結果的に獲れることがあるかもしれないけど、人生25年生きてきて、目標を立てて、それに対してやれたということがないんですよね。だから、自分を分析しても、目標はいらないタイプだと思うんです。
――だけど、その仕事のなかで最高のことはしたい。
前田 そうですね。毎日もらった枠番で勝つために、1着を獲るために、それに向けて調整して、そのレースに行く。そういう感じですね。
――それがSGの優勝戦かもしれない。
前田 一般戦の6号艇かもしれない。
――そうなると、SG優勝戦1号艇で乗ってほしいですね。そのときに、前田さんがどういう状態になるか見てみたい。
前田 アハハハ。GⅠに初めて行ったときも一般戦と変わらない気持ちでした。気負ってどうこうというタイプではないみたいですね。
――では、前田3兄弟でSG表彰台を独占するという目標を立てませんか?
前田 今はまだ現実味はないですけど、篠崎さんの兄弟(元志&仁志)を見てても、ああいう舞台で兄弟で走るのを見てるとすごいと思います。だから、やっぱり行きたいですね。表彰台とは言わなくても、同じSGを3人で走れたらいいですよね。
――可能性はあるでしょう。
前田 ありますかね。頑張らなきゃいけないですね。
――それにはまず、篤哉さんがSGに行かなきゃいけない。
前田 もうちょっと何個か優勝してクラシックに行けたらいいですね。
前田 ポンポンとA2級に上がったときに注目してもらえて、4期くらいA2だったのかな、それで注目度が下がってないか、と思って(笑)。そのへんで自分の気持ちが変わった気がします。最優秀新人を狙える年にもなってきていて、「優勝しなきゃ」「A1にならなきゃ」って意識が変わった気がしますね。面倒くさいけどペラやらなきゃいけないなと(笑)。
――2020年の最優秀新人を受章しました。実を言うと、前の年も優勝1回あれば獲れてたかもという成績でしたね。
前田 チャンスはあったんですよね。丸亀のルーキーシリーズでは予選トップで優出して、そこで優勝してたら可能性があった。その頃、宮之原輝紀選手と競っていたのは記憶にあります。結果、順当に輝紀くんが獲ったんですけど、それは悔しかった記憶がありますね。だから次の年は自分が獲らなきゃいけないと思ってました。そのときはいいプレッシャーで1年走れていた気がします。
――びわこヤングダービーで会ったとき、僕と「新人王を獲る」という約束をしたのを覚えてますか?
前田 覚えてます。そのあとすぐ(デビュー初)優勝したんじゃないかな。
――そう、次々節の桐生ですよ。
前田 ですよね。あれがひとつの決め手になったんで、肩の荷が下りた気がしますね。
――3コースまくり差しでしたね。ヤングダービーの前に、平和島で優勝戦1号艇に乗りながら負けてますが、結局初優勝は3号艇だった。
前田 正直、優勝を意識できる仕上がりじゃなかったんですよ。予選道中も苦労して、1着もそんなに獲れてなくて。準優も3号艇だったと思うんですけど、まくり差しでたまたま優出って感じでした。地元の関(浩哉)さんが1号艇だったし、気楽にレースに行ったら結果、まくり差しが入っちゃったって感じだった。「えっ、俺が優勝なんだ!?」って(笑)。平和島のときのほうが優勝を意識してたのに、桐生は意識してなくて獲れたんですよね。
――嬉しかった?
前田 優勝が欲しくて追い込まれていたのもありますし、走っているときよりも帰ってから嬉しかったなって思いました。
――それもあって最優秀新人受賞です。
前田 嬉しかったですし、ちゃんと獲れてホッとしましたね。新人王は1回だけしか獲れないので、それを獲っておきたいなとは思っていたんです。あまり「誰々には負けたくない」とは思わないタイプですけど、これに関しては他のレーサーに負けたくないなって思っていたかもしれないです。レースは1回負けても次に勝てるかもしれない。でも新人王は獲られちゃったらもう獲れないですから。
――同時に新人王ということにプレッシャーを感じたりはしませんでしたか?
前田 それはなかったかな。自分はプレッシャーを感じるタイプじゃないんですよ。でも注目されてるという思いにはなりました。初めて会う他県の先輩とかも、「おお、最優秀新人獲った子やろ?」って反応してくれたりして、良くも悪くもみられてんだなって意識は生まれましたね。
――過去の新人王は錚々たる面々です。今後のレーサー人生における約束手形みたいなところもあるわけです。その意味で、自分への期待感は?
前田 それはあんまり……今のところ、記念で通用してないですし、何かきっかけがあればとは思ってるんですけど、上のステージで活躍するきっかけがまだ掴めてないんで、自分への期待感はそんなにないですね。
――現実として、記念で納得のいく走りになってないということですかね。
前田 なんか変に気合が入っちゃってるのか、空回りしちゃってるのか、一般戦を走ってるときのほうが上手に走れている気がするんです。ターンで負けてるとかはそんなには思わないけど、気持ちの面でちょっとまだ経験が足りないのかなって。
――「記念で頑張らなきゃ!」という感じ?
前田 記念って、予選が終わってみると「この点数で予選トップなんだ」っていうのがあるでしょ。SGを見ててもそうですよね。一方で、一般戦ってある程度1着を並べないとトップになれないじゃないですか。その意識があるので、記念でも1着を狙いにいこうとして、でも記念ではそれで大ミスするんですよね。だから、ここは1着を獲らなくとも着をまとめておけば、予選が終わってみれば案外いい位置にいたのかな、って思うことがあって。そこはマインドを変えていかないといけないのかな。まあ、ぜんぜん焦ってるわけじゃないんですけどね。
――トップルーキーに選ばれたことについてはどんな思いですか。
前田 ありがたいですね。業界的に注目されて選んでもらってるわけですから。選ばれる対象である間はトップルーキーでいなきゃいけないと思っています。だから今期も頑張らないといけないですね。
――弟さん2人(前田翔、前田洸)のことも聞かせてください。3兄弟でボートレーサーであることの強みはありますか?
前田 うーん、あんまり家に帰ってボートの話をしないんですよね。まあ、弟が次に僕が走るレース場を走っていたら、どのペラで走ったかとかを聞いてみるとかはありますけどね。弟のレースはあまり見ないです。昨日は滉がケガしてたみたいなんですけど、それもあるのであまり見ないんですよ。
――ふたりともしっかり成績を残してきてますが、ライバル的な感じで見てますか?
前田 まったくならないですね。
――即答(笑)。
前田 一緒に頑張っていこうという感じですね。早くA1になってもらって、記念で新兵の仕事をしてくれないと困るので(笑)。
――先に記念で結果を出されたら?
前田 ぜんぜんいいですね。僕は、どちらかというとボートは仕事という意識が強くて、お金をもらうためにボートに乗ってる感覚なんです。だから弟も活躍して稼いでくれたほうが嬉しいですし、競技よりも仕事と考えれば、そういうライバル意識はないですね。
――競技より仕事、ですか。そうなると、目標は何ですか、という質問に対する答えはどうなりますか?
前田 目標はないです。
――ない!
前田 イースタンヤングの時もそれを聞かれたし、年始にもよく聞かれるんですけど、僕は毎回「ない」って答えるんです。タイトルが獲りたいとかはないんですよ。結果的に獲れることがあるかもしれないけど、人生25年生きてきて、目標を立てて、それに対してやれたということがないんですよね。だから、自分を分析しても、目標はいらないタイプだと思うんです。
――だけど、その仕事のなかで最高のことはしたい。
前田 そうですね。毎日もらった枠番で勝つために、1着を獲るために、それに向けて調整して、そのレースに行く。そういう感じですね。
――それがSGの優勝戦かもしれない。
前田 一般戦の6号艇かもしれない。
――そうなると、SG優勝戦1号艇で乗ってほしいですね。そのときに、前田さんがどういう状態になるか見てみたい。
前田 アハハハ。GⅠに初めて行ったときも一般戦と変わらない気持ちでした。気負ってどうこうというタイプではないみたいですね。
――では、前田3兄弟でSG表彰台を独占するという目標を立てませんか?
前田 今はまだ現実味はないですけど、篠崎さんの兄弟(元志&仁志)を見てても、ああいう舞台で兄弟で走るのを見てるとすごいと思います。だから、やっぱり行きたいですね。表彰台とは言わなくても、同じSGを3人で走れたらいいですよね。
――可能性はあるでしょう。
前田 ありますかね。頑張らなきゃいけないですね。
――それにはまず、篤哉さんがSGに行かなきゃいけない。
前田 もうちょっと何個か優勝してクラシックに行けたらいいですね。
水神祭記録
初出走
|
2017年5月20日~ | ボートレース常滑 | 一般 |
---|---|---|---|
初1着
|
2017年7月7日~ | ボートレース桐生 | 一般 |
初優出
|
2018年8月27日~ | ボートレース蒲郡 | 一般 |
初優勝
|
2020年10月5日~ | ボートレース桐生 | 一般 |
Q & A
- Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
- A手本になるようにしたい
- Q自分のレーススタイルを教えてください。
- A差し屋だと思います
- Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
- A特にはありませんが、1着型だと思います
- Qリラックス方法をおしえてください。
- A仕事終わりのマッサージに通うこと
- Q2022年の目標を教えて下さい。
- A去年を超える
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