TOP ROOKIE 2022トップルーキー 2022
naoya sawada 5017澤田 尚也
師匠は滋賀支部のスピードスター
馬場貴也さんです!
Information 2022年1月現在
- 生年月日:1999/2/1
- 支部:滋賀
- 出身地:京都府
- 身長:164cm
- 体重:52kg
- 登録期:121
- 級別:A2
- 血液型:A
トップルーキー2022 5017 澤田尚也
2017年11月びわこボートデビュースリット合戦を制し爽快に勝つ!
修了記念競走をまくりで勝ち取った121期のエースは、デビュー1ケ月で水神祭を飾っている。同期で最初の勝利だった。
少年時代、F1レーサーを目指しカートレースに熱中したこともある若者にとって、チャレンジ精神をぶつけられるボートレースの世界は可能性に満ちている。
初優勝が「三国モーニング・スタートキング争奪戦」であったよう加速感あふれるスリット攻勢で主導権を握るのがスタイルだ。
しかし、スタートが速いという周囲の声を意識し過ぎ、事故をしてしまったり、十分に加速できていない状態でスリットに入っていったりという現実をふまえ、「自分なりに質のいいスタートをすることに徹したい」と語っている。むろん道中のダイナミックターンに変わりはない。
2022年初のA1に昇格…。目指す「最高峰」にまた一歩近づいている。
少年時代、F1レーサーを目指しカートレースに熱中したこともある若者にとって、チャレンジ精神をぶつけられるボートレースの世界は可能性に満ちている。
初優勝が「三国モーニング・スタートキング争奪戦」であったよう加速感あふれるスリット攻勢で主導権を握るのがスタイルだ。
しかし、スタートが速いという周囲の声を意識し過ぎ、事故をしてしまったり、十分に加速できていない状態でスリットに入っていったりという現実をふまえ、「自分なりに質のいいスタートをすることに徹したい」と語っている。むろん道中のダイナミックターンに変わりはない。
2022年初のA1に昇格…。目指す「最高峰」にまた一歩近づいている。
澤田 尚也 選手
×
BOATBoy編集長
黒須田守
ロングインタビュー
前編
レーシングカートの世界から
ボートレースへ
――レーサーを志したきっかけは?
澤田 親の影響でレーシングカートをやっていました。それでやはりカートをやっていた中村魁生さんが(養成所を)受験するとなって、ペアボートを乗りに行ったのが最初ですね。レースも見たことがないままですね。
――ペアボートの感想は?
澤田 小さい頃からカートに乗ってたからスピードには慣れてるし、大丈夫だろうと思ってたんですよ。そうしたら、水の上ですごく振動があって、道路を走る感覚とまったく違っていた。すごいスピード感と振動、違和感がすごかったですね。そんなに速くないだろうと思ってたのに、意外と迫力を感じました。速度的にはカートのほうが速いんです。でも、水の上であんなに速く走る乗り物に乗ったのが初めてだったので、圧倒されましたね。
――それですぐに「レーサーになろう」と思いましたか?
澤田 これだ! ってのはありましたね。恐怖はなかったし、レースが好きだったので、これ(モーターボート)でレースがしたいと思いました。
――そのあとにレースを見たわけですね。
澤田 はい。びわこに行きました。カートでは、6人が一斉にコーナーを回ることはあまりないので、1周1コーナーはすごく迫力がありましたね。僕もこれで活躍したいって思いました。
――試験は何回目で受かったんですか?
澤田 3回目です。ちょうど中村魁生さんが先に受かったので、余計に火が付いたというかね。「くそー、俺もなってやる」っていうのが強まりましたね。
――受かったときの気持ちを覚えてますか?
澤田 とりあえず嬉しかったですね。1回目は正直、あまり対策もしてなかったですし、受けてみようってくらいの軽い気持ちだったんです。でも、2回目はその気持ちがだんだん強くなって、3回目はこれで絶対に決めるって強い思いで受けてたんで、本当嬉しかったですね。泣きました。
――泣きましたかっ!
澤田 嬉しかったです(笑)。
――中村さんから養成所が厳しいのは聞いてました?
澤田 いや、養成所に入ってからは連絡もできなくて、でもYouTubeとかをけっこう見てたので、厳しさは知ってました。
――実際、厳しかったでしょ。
澤田 僕は高校を辞めて養成所に行ったんですよ。そうすると、同期でいちばん年長が25、26歳で、高校生と比べるとすごく大人じゃないですか。その時点で僕は劣ってるなと思ったんですよ。人間の経験値もそうだし、僕は高校生で未熟だし、一緒にいるだけでレベルの差を感じました。でも、高校生の延長線上で来てるんじゃないぞ、軽はずみに来たわけじゃないぞ、と、そう思われるようにがむしゃらに頑張りましたね。入ったからにはトップで卒業するって目標を決めて、訓練に臨んでいました。
――団体生活は?
澤田 経験はいっさいなかったです。どうなるのかも想像つかないですし、やってみなきゃわからない精神で臨んだので、逆にできたのかなって思いますね。同期もいい人ばっかりですし、友達にもすぐになれましたし、この期で良かったなと思いました。
――教官の厳しさは?
澤田 もちろん厳しいなと思いましたけど、訓練を重ねている間にそれほどリスクのある仕事だと理解してきたんですよ。だから、1年でプロになれるんだからこの厳しさは仕方ないと思えるようになって、受け入れられましたね。辞めたいと思ったこともなかったです。高校も休学ではなく辞めていたので、帰る場所が僕にはなかった。卒業するしか道はないと思ってました。
――モーターボートとカートは、ハンドルが丸いのとエンジンで走るのは同じだけど、操縦はまったく違いますよね?
澤田 最初は違和感ばかりで、こんなに難しい乗り物は初めてだとまず思いましたね。慣れてからも、どうやったらこいつを早く走らせられるのかってのが課題でした。
――ボートとカートとの共通点はあります?
澤田 エンジンがついて、周回もの、ってところですかね。あんまり共通点はないです。
――カート経験が操縦に行かされたこともない?
澤田 小学校1年生からカートに乗っていたので、多少はあったと思うんですけど、それでもやっててよかったってのは操縦面ではなかったですね。
――養成所での成績は良かったですよね。
澤田 悪くはなかったですけど、ボートが自分に向いていると思ったことはいっさいなかったです。向いてたらもっと成績が良かっただろうし。才能を感じたこともなかった。ただ、自分をハマらせる何かはボートにありましたね。
――養成所時代の思い出はありますか。
澤田 最後のやまとチャンプを決める卒業記念レースは思い出に残ってます。優勝できましたので。
――そう、トップで卒業しようと目標にして、トップになりましたよ!
澤田 嬉しかったですねえ。当時は全速ターンの練習ばかりしていたんです。その日のためにイメージして、何度も何度も練習して、コケて。それが実ってよかったです。
――同期生で仲がいいのは?
澤田 加倉侑征とか、上田健太とか、石田貴洋とかですかね。彼らの存在は大きかったですね。
――やまとチャンプで卒業して、プロデビュー。師匠は馬場貴也さんですよね。
澤田 馬場さんに付いたのは、デビューよりもっと後なんです。4カ月後くらいかな。三国の一般戦で一緒になって、いろいろ教えてもらったり、レースを見ているなかで、ターンが一人だけ違ったんですよ。すごくダイナミックで、雰囲気があって、スピードがあって。この人のターンがしたいと思ったんですよね。それに、一節間一緒に生活して、コミュニケーションをとってるうちに、こんな人になりたい、とも思ったんですよ。すごく尊敬できる人だなって。だからこの人に教えてもらいたい、と思ったんです。
――なるほど。デビュー戦は緊張しましたか?
澤田 わりと思ってたよりしなかったと思います。エンジンかける前まではしてたでしょうけど、エンジンがかかったらいっさい緊張しなかった。昔からエンジン音で緊張がほぐれるところがありましたね。
――6等でした。
澤田 とりあえず1走目は事故だけはしてはいけないと思って、絶対入るスタートで行って、養成所の模擬レース通りにやって。それで6着で、「ああこんなもんかあ、そんなにうまくいくわけじゃないよね」って感じになりました。
――2走目は転覆……。
澤田 1走目に事故だけはやめとこうと思って、2走目は思いっ切りいけるってのがあったんですよ。それですごく攻めるレースをしようと思ったんですよね。その結果転覆してしまって、レスキューで運ばれている間にお客さんに向かって頭を下げていたのを覚えてます。強気でした。でも楽しかったです。なかなかうまくいかない自分に対して、楽しかったですね。
――6着、転覆という船出ですよ。不安にはならなかった?
澤田 不安プラス、それが楽しかったんですよ。みんなすげえ、こんなにすごい人がおるんだ、訓練生とは全然違う……世界が広がった気がして楽しかったんですよね。デビュー節の成績は大きい着ばかりだったけど、楽しかったんです。
後編へ続く(2022/9/30頃更新予定)
澤田 親の影響でレーシングカートをやっていました。それでやはりカートをやっていた中村魁生さんが(養成所を)受験するとなって、ペアボートを乗りに行ったのが最初ですね。レースも見たことがないままですね。
――ペアボートの感想は?
澤田 小さい頃からカートに乗ってたからスピードには慣れてるし、大丈夫だろうと思ってたんですよ。そうしたら、水の上ですごく振動があって、道路を走る感覚とまったく違っていた。すごいスピード感と振動、違和感がすごかったですね。そんなに速くないだろうと思ってたのに、意外と迫力を感じました。速度的にはカートのほうが速いんです。でも、水の上であんなに速く走る乗り物に乗ったのが初めてだったので、圧倒されましたね。
――それですぐに「レーサーになろう」と思いましたか?
澤田 これだ! ってのはありましたね。恐怖はなかったし、レースが好きだったので、これ(モーターボート)でレースがしたいと思いました。
――そのあとにレースを見たわけですね。
澤田 はい。びわこに行きました。カートでは、6人が一斉にコーナーを回ることはあまりないので、1周1コーナーはすごく迫力がありましたね。僕もこれで活躍したいって思いました。
――試験は何回目で受かったんですか?
澤田 3回目です。ちょうど中村魁生さんが先に受かったので、余計に火が付いたというかね。「くそー、俺もなってやる」っていうのが強まりましたね。
――受かったときの気持ちを覚えてますか?
澤田 とりあえず嬉しかったですね。1回目は正直、あまり対策もしてなかったですし、受けてみようってくらいの軽い気持ちだったんです。でも、2回目はその気持ちがだんだん強くなって、3回目はこれで絶対に決めるって強い思いで受けてたんで、本当嬉しかったですね。泣きました。
――泣きましたかっ!
澤田 嬉しかったです(笑)。
――中村さんから養成所が厳しいのは聞いてました?
澤田 いや、養成所に入ってからは連絡もできなくて、でもYouTubeとかをけっこう見てたので、厳しさは知ってました。
――実際、厳しかったでしょ。
澤田 僕は高校を辞めて養成所に行ったんですよ。そうすると、同期でいちばん年長が25、26歳で、高校生と比べるとすごく大人じゃないですか。その時点で僕は劣ってるなと思ったんですよ。人間の経験値もそうだし、僕は高校生で未熟だし、一緒にいるだけでレベルの差を感じました。でも、高校生の延長線上で来てるんじゃないぞ、軽はずみに来たわけじゃないぞ、と、そう思われるようにがむしゃらに頑張りましたね。入ったからにはトップで卒業するって目標を決めて、訓練に臨んでいました。
――団体生活は?
澤田 経験はいっさいなかったです。どうなるのかも想像つかないですし、やってみなきゃわからない精神で臨んだので、逆にできたのかなって思いますね。同期もいい人ばっかりですし、友達にもすぐになれましたし、この期で良かったなと思いました。
――教官の厳しさは?
澤田 もちろん厳しいなと思いましたけど、訓練を重ねている間にそれほどリスクのある仕事だと理解してきたんですよ。だから、1年でプロになれるんだからこの厳しさは仕方ないと思えるようになって、受け入れられましたね。辞めたいと思ったこともなかったです。高校も休学ではなく辞めていたので、帰る場所が僕にはなかった。卒業するしか道はないと思ってました。
――モーターボートとカートは、ハンドルが丸いのとエンジンで走るのは同じだけど、操縦はまったく違いますよね?
澤田 最初は違和感ばかりで、こんなに難しい乗り物は初めてだとまず思いましたね。慣れてからも、どうやったらこいつを早く走らせられるのかってのが課題でした。
――ボートとカートとの共通点はあります?
澤田 エンジンがついて、周回もの、ってところですかね。あんまり共通点はないです。
――カート経験が操縦に行かされたこともない?
澤田 小学校1年生からカートに乗っていたので、多少はあったと思うんですけど、それでもやっててよかったってのは操縦面ではなかったですね。
――養成所での成績は良かったですよね。
澤田 悪くはなかったですけど、ボートが自分に向いていると思ったことはいっさいなかったです。向いてたらもっと成績が良かっただろうし。才能を感じたこともなかった。ただ、自分をハマらせる何かはボートにありましたね。
――養成所時代の思い出はありますか。
澤田 最後のやまとチャンプを決める卒業記念レースは思い出に残ってます。優勝できましたので。
――そう、トップで卒業しようと目標にして、トップになりましたよ!
澤田 嬉しかったですねえ。当時は全速ターンの練習ばかりしていたんです。その日のためにイメージして、何度も何度も練習して、コケて。それが実ってよかったです。
――同期生で仲がいいのは?
澤田 加倉侑征とか、上田健太とか、石田貴洋とかですかね。彼らの存在は大きかったですね。
――やまとチャンプで卒業して、プロデビュー。師匠は馬場貴也さんですよね。
澤田 馬場さんに付いたのは、デビューよりもっと後なんです。4カ月後くらいかな。三国の一般戦で一緒になって、いろいろ教えてもらったり、レースを見ているなかで、ターンが一人だけ違ったんですよ。すごくダイナミックで、雰囲気があって、スピードがあって。この人のターンがしたいと思ったんですよね。それに、一節間一緒に生活して、コミュニケーションをとってるうちに、こんな人になりたい、とも思ったんですよ。すごく尊敬できる人だなって。だからこの人に教えてもらいたい、と思ったんです。
――なるほど。デビュー戦は緊張しましたか?
澤田 わりと思ってたよりしなかったと思います。エンジンかける前まではしてたでしょうけど、エンジンがかかったらいっさい緊張しなかった。昔からエンジン音で緊張がほぐれるところがありましたね。
――6等でした。
澤田 とりあえず1走目は事故だけはしてはいけないと思って、絶対入るスタートで行って、養成所の模擬レース通りにやって。それで6着で、「ああこんなもんかあ、そんなにうまくいくわけじゃないよね」って感じになりました。
――2走目は転覆……。
澤田 1走目に事故だけはやめとこうと思って、2走目は思いっ切りいけるってのがあったんですよ。それですごく攻めるレースをしようと思ったんですよね。その結果転覆してしまって、レスキューで運ばれている間にお客さんに向かって頭を下げていたのを覚えてます。強気でした。でも楽しかったです。なかなかうまくいかない自分に対して、楽しかったですね。
――6着、転覆という船出ですよ。不安にはならなかった?
澤田 不安プラス、それが楽しかったんですよ。みんなすげえ、こんなにすごい人がおるんだ、訓練生とは全然違う……世界が広がった気がして楽しかったんですよね。デビュー節の成績は大きい着ばかりだったけど、楽しかったんです。
後編へ続く(2022/9/30頃更新予定)
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ロングインタビュー
後編
記念を走りたい!
早くSGに行きたい!
――水神祭はデビュー3節目でした。
澤田 ぱっと道が空いて、勝手に吸い込まれて、僕が操縦した感じじゃなかったです(6コースまくり差し)。自分がいちばんビックリしてましたね。こんな感じで1着獲れるんだって思ってました。
――2節目には舟券絡みがあって、近いうちに1着が獲れる感じはあったんですか?
澤田 いや、そんなに「絶対1着獲るぞ」って感じじゃなかったんで、逆にそれがよかったんじゃないですかね。水神祭はしたいけど、そんなに意識はしてなかったんですよ。
――澤田さんは登番が5000番台に突入する期のチャンプで、騒がれたじゃないですか。
澤田 けっこう期待の目はあって、いろいろ言われても来たんで、頑張らなきゃとは思ってましたね。このまま下がっていくばかりではダメだなって。だから、1着が獲れてけっこう安心しましたね。ただ、年明けくらいにまた1着を獲って、そこでフライングしてしまったんですよ。気持ちが緩んでいたんですよね。天狗になってる部分があった。そのフライングでもう一度考え直させられたというか、このままじゃダメだってケジメをつけられたと思ってます。気を引き締めました。そのフライングでB1あっせんも取り消されたんですけど、今となってはよかったのかな。もちろん苦しかったですけどね。
――フライングした節って、その後もしっかりスタート行ってましたよね。
澤田 怯んだらダメだってのはありましたね。次に切らなければ大丈夫だって言い聞かせて、できるだけ行くようにしていました。こんなもんじゃ終わらないぞって自分では思ってましたし。
――澤田さんって、ひとつの目標に対してまっすぐなんですね。
澤田 それはありますね。まあ、ある程度順調にいってたんでそう見えると思うんですけど、成績的には悩んでいる時期もありましたよ。思い通りにいかないときもありました。シゴロ(スローに入らず、4~6コースのダッシュのみでレースをする)時代が長かったんですよ、今の時代にしてみたら。同期とか、みんなデビュー3期目くらいからスローに入るんですけど、僕は5期目の最後のほうから入るようになった。馬場さんの教えです。A級になるか、初優出するまではシゴロで、って。できればシゴロでA級になってほしい。それからインに入ってくれ、ってくらいの目標を馬場さんから与えられてたんです。
――ほお。
澤田 でも、なかなかうまくいかないじゃないですか。勝率も4点後半とかで止まるし、同期はインから1着回数が増えていくし、その時期はすごく悩んでました。めちゃくちゃもやもやしてました。
――初優出は20年2月、津のボートレースレディースvsルーキーズバトルでしたね。
澤田 、終わってすぐに馬場さんに連絡しました。津のガレージで電話したんですよ。そしたら「じゃあ次からコース解禁」って言われて、泣きそうになりましたね。
――僕は取材に行ってましたが、すべてダッシュから優出しましたよね。あれは印象的でした。
澤田 節間通して強い向かい風でダッシュ向きの状況でしたし、僕に流れが来てましたね。コース解禁も嬉しかったけど、めちゃくちゃ自信にもなりました。
――結局、同期で優出一番乗り。そして、21年4月の三国で優勝も一番乗り。出世頭じゃないですか。
澤田 そのあたりから優勝を意識してレースに向かうようになってたんで、すごく嬉しかったですね。今思えば、自分の実力というより、なるようになったら優勝していた、くらいの感じで考えています。たまたまいい流れだっただけです、あの優勝は。展開も流れも良くて、流れに身を任せて獲れた優勝でした。
――そして、同期一番乗りでA1級に昇級しました。
澤田 A1級を目指してましたので、自分にグッドサインを出しました。でも、もっと上に行かないといけないです。馬場さんからは「どんなA1になるのかが大事だぞ」って言われました。
――どんなA1、というのをどう認識してますか。
澤田 やっぱり記念に行って、SGに行って、馬場さんみたいなA1になりたいですよね。ただのA1では終わりたくない。
――トップルーキーにも選ばれました。
澤田 やっぱり知名度を上げてナンボなんで、トップルーキーに選ばれたことで注目されて、自分を知ってもらえたらと思ってます。結果を出さないといけないですよね。
――4月に元メジャーリーガーの松坂大輔さんの講話があったんですよね?
澤田 プラスになることしかないですよね。マイナスになることがない。松坂さんからは、プロとして努力をするのは当たり前、そこからどう結果を出すか、という話がありました。それまでプロということに対して甘く見ていた自分がいたことを気づかされましたね。
――トップルーキーに選ばれ、今年は地区選を走り、その後も3節、記念を走りました。
澤田 めっちゃくちゃ楽しかったです。
――楽しかった!
澤田 スピードも何もかも、全部が楽しかった。これが記念か、と。ここでずっと走りたいと思いました。
――レベルが高くて、そこに打ちのめされたりはしなかった?
澤田 ありましたけど、それが楽しかったんです。こんなに強い人がまだおったのかって感じでしたね。最初はちょっと慣れなくて、陸の上から緊張はしてたんですけど、3節連続で記念を走って慣れてきたら、本当に楽しくなった。一般戦に毛が生えたくらいだと捉えられるようにもなって、やることはいつもと変わらないと思えるようにもなりましたね。
――今日のインタビューのなかで、最も声に力が入ってますね(笑)。
澤田 ほんとに楽しかったんですよ。抜かれたレースも、悔しいんですけど、楽しい。ここでずっと走りたいですね。
――記念を走るためには原則としてA1級でいなければなりません。まずは来期もキープしましたね。
澤田 そこは絶対条件だったのでよかったですね。すぐにA2に落ちないためにも、馬場さんがシゴロで鍛えてくれてたんですよね。すごい強みになってます。
――当時はちょっともやもやしたけれども(笑)。
澤田 だいぶもやもやして、「なんなの、馬場さん?」って思ったりもしたけど(笑)、馬場さんの考えがあったから今A1級でいられるし、自分の強さになってるので、本当にありがたいです。
――記念を走りたいということですが、SGにもいずれ行かないと。
澤田 そう思ってるので、早く行きたいです。
――それに対して考えてることありますか。
澤田 今の自分には何も足りてなくて、口だけの目標になってるところがあるので、考えることはないです。目先のことを頑張るしかないので、今のところはそれしか考えてないですね。どういうかたちでSGに行けるかっていうのは思い描いていますよ。だからこそ、1走1走、しっかりやるしかないですよね。
――今年は滋賀支部の先輩たちがものすごいですね。遠藤エミさんはSG制覇ですよ。
澤田 刺激です。上の先輩が活躍すると下も底上げされるので、絶対に活躍してもらわないと(笑)。遠藤さんはシンプルに強いと思います。
――師匠も大活躍ですよ。
澤田 去年の馬場さんは大きいタイトルを獲ってなくて、苦しんでいるのを見てましたからね。馬場さんは去年の終わりからマルトレ(丸野一樹が提唱するトレーニング)を取り入れてるんですよ。馬場さんからしたら丸野さんは後輩なのに、プライドを捨てて取り入れて、努力している。すごいですよね。
――澤田さんもマルトレしましょう(笑)。
澤田 あ、今日もさっきまでジムでやって来たんです。
――昨日までレースに参加していたのに!
澤田 はい。今はちょっと力弱いA1で、ギリギリを歩いてますけど、しっかり大舞台で活躍して力強いA1になりたいですからね。ファンの皆さんも応援よろしくお願いいたします!
澤田 ぱっと道が空いて、勝手に吸い込まれて、僕が操縦した感じじゃなかったです(6コースまくり差し)。自分がいちばんビックリしてましたね。こんな感じで1着獲れるんだって思ってました。
――2節目には舟券絡みがあって、近いうちに1着が獲れる感じはあったんですか?
澤田 いや、そんなに「絶対1着獲るぞ」って感じじゃなかったんで、逆にそれがよかったんじゃないですかね。水神祭はしたいけど、そんなに意識はしてなかったんですよ。
――澤田さんは登番が5000番台に突入する期のチャンプで、騒がれたじゃないですか。
澤田 けっこう期待の目はあって、いろいろ言われても来たんで、頑張らなきゃとは思ってましたね。このまま下がっていくばかりではダメだなって。だから、1着が獲れてけっこう安心しましたね。ただ、年明けくらいにまた1着を獲って、そこでフライングしてしまったんですよ。気持ちが緩んでいたんですよね。天狗になってる部分があった。そのフライングでもう一度考え直させられたというか、このままじゃダメだってケジメをつけられたと思ってます。気を引き締めました。そのフライングでB1あっせんも取り消されたんですけど、今となってはよかったのかな。もちろん苦しかったですけどね。
――フライングした節って、その後もしっかりスタート行ってましたよね。
澤田 怯んだらダメだってのはありましたね。次に切らなければ大丈夫だって言い聞かせて、できるだけ行くようにしていました。こんなもんじゃ終わらないぞって自分では思ってましたし。
――澤田さんって、ひとつの目標に対してまっすぐなんですね。
澤田 それはありますね。まあ、ある程度順調にいってたんでそう見えると思うんですけど、成績的には悩んでいる時期もありましたよ。思い通りにいかないときもありました。シゴロ(スローに入らず、4~6コースのダッシュのみでレースをする)時代が長かったんですよ、今の時代にしてみたら。同期とか、みんなデビュー3期目くらいからスローに入るんですけど、僕は5期目の最後のほうから入るようになった。馬場さんの教えです。A級になるか、初優出するまではシゴロで、って。できればシゴロでA級になってほしい。それからインに入ってくれ、ってくらいの目標を馬場さんから与えられてたんです。
――ほお。
澤田 でも、なかなかうまくいかないじゃないですか。勝率も4点後半とかで止まるし、同期はインから1着回数が増えていくし、その時期はすごく悩んでました。めちゃくちゃもやもやしてました。
――初優出は20年2月、津のボートレースレディースvsルーキーズバトルでしたね。
澤田 、終わってすぐに馬場さんに連絡しました。津のガレージで電話したんですよ。そしたら「じゃあ次からコース解禁」って言われて、泣きそうになりましたね。
――僕は取材に行ってましたが、すべてダッシュから優出しましたよね。あれは印象的でした。
澤田 節間通して強い向かい風でダッシュ向きの状況でしたし、僕に流れが来てましたね。コース解禁も嬉しかったけど、めちゃくちゃ自信にもなりました。
――結局、同期で優出一番乗り。そして、21年4月の三国で優勝も一番乗り。出世頭じゃないですか。
澤田 そのあたりから優勝を意識してレースに向かうようになってたんで、すごく嬉しかったですね。今思えば、自分の実力というより、なるようになったら優勝していた、くらいの感じで考えています。たまたまいい流れだっただけです、あの優勝は。展開も流れも良くて、流れに身を任せて獲れた優勝でした。
――そして、同期一番乗りでA1級に昇級しました。
澤田 A1級を目指してましたので、自分にグッドサインを出しました。でも、もっと上に行かないといけないです。馬場さんからは「どんなA1になるのかが大事だぞ」って言われました。
――どんなA1、というのをどう認識してますか。
澤田 やっぱり記念に行って、SGに行って、馬場さんみたいなA1になりたいですよね。ただのA1では終わりたくない。
――トップルーキーにも選ばれました。
澤田 やっぱり知名度を上げてナンボなんで、トップルーキーに選ばれたことで注目されて、自分を知ってもらえたらと思ってます。結果を出さないといけないですよね。
――4月に元メジャーリーガーの松坂大輔さんの講話があったんですよね?
澤田 プラスになることしかないですよね。マイナスになることがない。松坂さんからは、プロとして努力をするのは当たり前、そこからどう結果を出すか、という話がありました。それまでプロということに対して甘く見ていた自分がいたことを気づかされましたね。
――トップルーキーに選ばれ、今年は地区選を走り、その後も3節、記念を走りました。
澤田 めっちゃくちゃ楽しかったです。
――楽しかった!
澤田 スピードも何もかも、全部が楽しかった。これが記念か、と。ここでずっと走りたいと思いました。
――レベルが高くて、そこに打ちのめされたりはしなかった?
澤田 ありましたけど、それが楽しかったんです。こんなに強い人がまだおったのかって感じでしたね。最初はちょっと慣れなくて、陸の上から緊張はしてたんですけど、3節連続で記念を走って慣れてきたら、本当に楽しくなった。一般戦に毛が生えたくらいだと捉えられるようにもなって、やることはいつもと変わらないと思えるようにもなりましたね。
――今日のインタビューのなかで、最も声に力が入ってますね(笑)。
澤田 ほんとに楽しかったんですよ。抜かれたレースも、悔しいんですけど、楽しい。ここでずっと走りたいですね。
――記念を走るためには原則としてA1級でいなければなりません。まずは来期もキープしましたね。
澤田 そこは絶対条件だったのでよかったですね。すぐにA2に落ちないためにも、馬場さんがシゴロで鍛えてくれてたんですよね。すごい強みになってます。
――当時はちょっともやもやしたけれども(笑)。
澤田 だいぶもやもやして、「なんなの、馬場さん?」って思ったりもしたけど(笑)、馬場さんの考えがあったから今A1級でいられるし、自分の強さになってるので、本当にありがたいです。
――記念を走りたいということですが、SGにもいずれ行かないと。
澤田 そう思ってるので、早く行きたいです。
――それに対して考えてることありますか。
澤田 今の自分には何も足りてなくて、口だけの目標になってるところがあるので、考えることはないです。目先のことを頑張るしかないので、今のところはそれしか考えてないですね。どういうかたちでSGに行けるかっていうのは思い描いていますよ。だからこそ、1走1走、しっかりやるしかないですよね。
――今年は滋賀支部の先輩たちがものすごいですね。遠藤エミさんはSG制覇ですよ。
澤田 刺激です。上の先輩が活躍すると下も底上げされるので、絶対に活躍してもらわないと(笑)。遠藤さんはシンプルに強いと思います。
――師匠も大活躍ですよ。
澤田 去年の馬場さんは大きいタイトルを獲ってなくて、苦しんでいるのを見てましたからね。馬場さんは去年の終わりからマルトレ(丸野一樹が提唱するトレーニング)を取り入れてるんですよ。馬場さんからしたら丸野さんは後輩なのに、プライドを捨てて取り入れて、努力している。すごいですよね。
――澤田さんもマルトレしましょう(笑)。
澤田 あ、今日もさっきまでジムでやって来たんです。
――昨日までレースに参加していたのに!
澤田 はい。今はちょっと力弱いA1で、ギリギリを歩いてますけど、しっかり大舞台で活躍して力強いA1になりたいですからね。ファンの皆さんも応援よろしくお願いいたします!
水神祭記録
初出走
|
2017年11月4日~ | ボートレースびわこ | 一般 |
---|---|---|---|
初1着
|
2017年12月2日~ | ボートレースびわこ | 一般 |
初優出
|
2020年2月4日~ | ボートレース津 | 一般 |
初優勝
|
2021年4月1日~ | ボートレース三国 | 一般 |
Q & A
- Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
- A1つの目標でした!うれしいです!
- Q自分のレーススタイルを教えてください。
- Aスピード、まくり差し
- Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
- Aスピード、ウィリーターン
- Qリラックス方法をおしえてください。
- A自分を信じる
- Q2022年の目標を教えて下さい。
- A7点レーサー。GI優出。
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