TOP ROOKIE 2019
kota haruzono 4796春園 功太
お客さんの財布を
しっかり温められるように
頑張ります!
Information 2018年3月現在
- 生年月日:1991/8/6
- 支部:三重
- 出身地:三重
- 身長:166cm
- 体重:54kg
- 登録期:113
- 級別:A1
- 血液型:B
春園 功太 選手の Special Movie
水神祭記録
初出走 |
2013年11月3日~ | ボートレース津 | 一般 |
---|---|---|---|
初1着 |
2014年2月1日~ | ボートレース浜名湖 | 一般 |
初優出 |
2017年8月20日~ | ボートレース浜名湖 | 一般 |
初優勝 |
2017年8月20日~ | ボートレース浜名湖 | 一般 |
Q & A
- Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
- Aありがとうございます。
- Qレース前のルーティーンはありますか?
- A食べない
- Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
- Aお金を世の中に回す
- Qリラックス方法をおしえてください。
- Aコーヒー
- Q今後の目標を教えて下さい。
- A資産を増やす
春園 功太 選手の
ここがすごい
自在性のある攻め筋で
急上昇!
決して平坦な新人時代とは言えなかった。いや、成績がなかなか上昇していかなかったことを考えれば、むしろ平坦すぎた、と言うべきかもしれない。風向きが一気に変わったのは、2018年だ。それまでじわじわと勝率は上がってきてはいたが、なかなかB級暮らしを脱せなかった。それが、まさに昨年は一気に成績が急上昇。18年後期は、前期のB1級から飛び級でA1級へと昇級したのである。
強みは自在性だ。昨年の1コース以外の1着の決まり手を見ると、まくり12回、まくり差し13回、差し9回とバランスがいい。展開に応じてどんなハンドルワークでもできている証しだ。抜きでの1着も7回あって、後手を踏んでも決してあきらめることはない。もちろん1コースでの信頼度も上々で、昨年は全体的にレベルアップを果たしたのだ。その勢いでG1での優出も果たした。トップルーキーに選ばれた19年はもうひとつ、ステップアップしたい1年となる。
TOP ROOKIEの横顔
内向する闘争心を
力に変える
「自分なんか、まだまだ全然ダメです」。春園功太はこう自己評価する。傍らからみれば十分な活躍に映っても、本人が納得しなければ意味をなさない。あまりに明解な言葉に二の句が継げなかった。
ある陸上関係者から、『緊張感を解いていい競技と、解いてはいけない競技がある。解いてはならないのはマラソンなどの中長距離種目。いい時はイケイケで、悪いと乗り切れないリズムが身についてしまうから。安定した成績を残すには、日常生活から心がけないといけません』と教えられたことがある。春園功太の場合はあきらかに後者。それも緊張感や闘志を内向させている感じがする。
事実、春園は高校時代、全国高校駅伝で三重県代表として知られている上野工業高校、現在の伊賀白鳳高校陸上競技部に在籍していた。「5000メートルを走ることが多かった」と言うが、3000メートルなどにもエントリー。1キロあたりほぼ3分の好タイムで走っている。派手さよりも落ち着き、有言実行というよりも黙って勝負という雰囲気の源泉と言ってもいいだろう。常に闘争心を持ち、自分を厳しく抑制している感じはここからきている。極めてストイックな存在である。
ちなみに、7.24の自身最高勝率をマークした2019年前期対象期間は、14節中13節で予選を突破、1回優勝(三国ルーキーシリーズ)を果たしている。そんな驚異的な数字のバックボーンは、機力を背景としたレース展開力。行き足とターン足が仕上がった時の春園功太のまくり差しは迫力満点。他艇が止まって見えるほどである。
現在ややリズムを落としているが、それはフライングの影響…と、もっぱらの評価だが心配はない。鍛えてきた中長距離競技になぞらえれば、先頭集団から離れても再びつけばいいのだ。春園功太はそうやって競技者の魂を磨いてきた。だから、目が離せない男なのである。
春園 功太 選手のこのレースがすごい!2018
2018年若松G1 66周年全日本覇者決定戦 5日目 10R準優勝戦(11月5日)価値が高い「初周年出場で初優出」
2018年を迎えた当初、春園功太は決して名を知られた存在ではなかった。まだA級を経験していない若者だったのだから無理もない。同支部のルーキーでは、早くから頭角を現した松尾拓のほうが目立った存在だった。しかし、春園はそんななかでも着々と力をつけていった。18年後期はB1級から飛び級でのA1級昇級を決めており、出走表に「B1」とあった最後のシリーズ、G3イースタンヤングでも優出している。
そんな春園が一気に名を売ったのは、11月のG1若松周年だった。初戦で2コース差しを決め1着となると、その後も活躍。見事に予選を突破した。迎えた準優勝戦は3号艇。枠なり3コース発進となった春園は、逃げた江夏満には及ばなかったものの、SG覇者の湯川浩司らを退けて2着。優出を決めたのである。春園はこれが2度目のG1出場だった。1度目がヤングダービーだから、周年は初出場である。そこで優勝戦に名を連ねたのは、価値が高すぎる。上の舞台で戦える手応えを、春園自身もつかんだことだろう。